2.い っ て き ま す
 あのよる、嵐のよる、それは手を引かれて走るところから始まっている。引っ張るのはお母さん。私のお母さんだ。お母さんは遅れがちになる私の手を強く強く引っぱった。
 入江はまだ大丈夫だからそこまで走りなさい、なにが大丈夫なのお母さん、いいから走るの。走りなさい。
 ひどい嵐のよるだった。空が真っ赤に染まっていた。村は燃えていた。雲の合間には巨大な、巨大なまがまがしいなにかが浮かび、じっと燃える村をにらんでいた。
 入江についたときお父さんはいなかった。
 お父さんは?
 お父さんは村のみんなと一緒よ後から来るわ、お母さんはそういって、まだしばらくは嵐の海にうかんでいられそうな小舟の縄をたぐった。
 ――ああ、だめよ、お母さん。

「私、お父さんに、いってきます、って言ってないわ」

 お母さんは振り返らない。振り返らないで、小舟に乗り込み、私を呼んだ。
 あのとき、船に乗ったとき、もうここには戻らない、ああ、もう二度と戻ることはできないのだと知ったのだ。


 目を覚ますと部屋は赤く染まっていた。まるで燃えているみたいだと目を拭い、泣いていたことに気が付いた。
 見知らぬ村の、女の子。あの嵐の中、女の子がお母さんと小舟が海へ漕ぎ出したところで夢はいつも終わっている。まるで、その続きを見ることを拒むかのように。
 立ち上がり窓を開ける。はるか彼方の街並みの空には万国旗が横切り、屋台が軒をつらねていた。
 年に一度のお祭りだった。その日になれば心は揺らぐかと思えばそうはならなかった。
 私はあの夢の女の子と同じだ。いってきますを言うこともなく家を出ることになったのだ。

 夢のつづきはなんだろう。あの夢の女の子は、嵐を無事にやりすごしたのだろうか。お父さんには会えただろうか。
 村に――あの子のおうちに、戻ることはできただろうか。
「笑止千万。それですべてがうまく行くなら、世の中に不仕合わせなど存在しない」
 私の手を引いてくれる人はいない。もういない。差し伸べられる手を待っていてはいけないのだから家を出る、そう決めたのだ。大丈夫よ、きっと一人で歩いてゆける。
 だいじょうぶよ。きっと。
 窓に背を向けると、部屋の夕闇はまた一段と濃くなった。