4.だ い す き

 この手紙を手に取ったあなたへ。

 これは不幸の手紙ではありません。
 だってほら、窓の外では目に見えるような春の陽気が、すっぽりと村をくるんでいます。その中へと誘うように小鳥が囁いています。私は温かい飲み物を口に運び、みるみる大きくなるおなかをなでながら、ペンをインクに浸しているところだったのです。
 こんな日に、不幸の手紙が書ける方がおかしいとは思いませんか?

 でもね、ごめんなさい。

 それほど遠くない未来に私は死にます。
 お腹の子どもの産声を飽きるほど聞くこともなく、その子が意味を持った言葉をしゃべるのを知ることもなく、私は死にます。
 もう何年もまえから決まっていたことでした。
 信じられないくらい巨大な嵐がこの村を襲った日、この村は一度死にました。それは、村人の半分以上がいなくなり、村のほとんどの家が廃墟となったことでした。残された人もまた、原因不明の額の傷に、長く生きることはできませんでした。この村から人がいなくなったのはそういう理由です。
 一度死に終ったあと、再び、村は今度はゆっくりと死にはじめました。
 村が死ぬ、というのは、村人がいなくなることではなかったのです。それは、その場所にあった、営みだとか、文化という名前で呼ばれるようなものが、消えていくことだったのです。もともと少ない村人は両手で数えられるくらいになったとき、雪がふりしきる世界の終わりのように、音のしない村に立って、私はそう思いました。
 そのとき、私ははじめて、生きるということを知りました。生きるということは音をたてることなのです。産声だったり、歌だったり。そこには、そうしなくちゃいられないなにかがあるのです。
 たぶん、それが、生きてる間にかろうじてできることなのでしょうね。

 あなたにこうして手紙を書くのも、そうしなくちゃいけないなにかにせかされるように、筆をとったからでした。別にこの期に及んで、生きたあかしだとか、その意味だとかを、求めるつもりはありません。ただ、誤解しないでほしいのは、すくなくとも私は、この村で死ぬということや、死にかけの村に子どもを産むということを、後悔していないということです。だいたい、私が後悔なんかしていては、せっかく生まれてくる子に申し訳が立ちません。後悔なんて、生まれた子どもが生まれちゃってからすればいいんです。なにが悲しくて、生まれる前から後悔されなくちゃいけないんでしょう。
 死ぬのに意味がないように、生まれるのにだって理由はいりません。
 だから私は後悔しません。絶対に。それが礼儀ってものです。

 あなた。

 この手紙を読んでくれた、やさしいあなた。

 どうか、この手紙のことは、忘れてください。
 いまさらこんなことを言うなんて、私もつくづくひきょう者ですね。なら手紙なんか書かなければよかったじゃないかと、あなたは思うかもしれません。でも大丈夫。私がお願いしなくても、あなたはこんな手紙のことなど、きれいに忘れることができるでしょう。ほら、今ですら、記憶のかけらのひとつになって、あなたの中に眠りにつこうとしているのです。それでいいのです。あなたにも、明日の朝目覚めれば、昨日から続くあなたの生活があるのです。手紙の向こうの相手にうつつを抜かしていられるほど、あなたは暇な人ではないはずですから。
 あなたが忘れてくれるものと知っているから、私はここでこうして、思いのたけをつづることができるのです。私のことなど忘れてください。私は忘れてほしいのです。私の記憶なんかあるがゆえにあなたに心苦しい思いをさせてしまうことが、なによりつらいのです。
 先程も言ったように、私が求めていたのは、生きたあかしや意味ではないのです。
 あなたに私の記憶が無いことを、私は本当に本当によろこんでいるのですよ。

 最後に、ひとつだけ。おせっかいかもしれませんが、伝えたい言葉があります。

 ご飯はよく噛んで食べること。
 どんなときでも、お腹が減ることほど悲しいことはありませんからね。

 そろそろペンを置くことにします。
 どうか身体に気を付けて。
 あなたがあなたの望む場所で、望む声で、望む名前を呼ばれていることを祈っています。