7.ま た ね
 だいたいにおいて、自分のしたいことしかやってこなかったつもりだった。
 つもりだった、というのは、少しおかしい。実際のところ、そうだった。
 気付いてみたら、目の前には敵しかおらず、しかもその敵を避けることも許されず、体当たりしてむかっていくしかないという、なんともどうしようもない事態になりはてていた。だがこれは自分のせいなのかは、良くわからない。それを考えるには、彼はまだいささか幼すぎたし、考えるための時間は彼の前途に有り余っているように思われた。
 とりあえず、彼は考えることをやめた。生きるためにそうした。でないと、とうの昔にバカらしくなって、どこかで野垂れ死ぬ道を選んでいただろう。つまるところ、当時の彼はバカだった。考えないという意味においてバカだった。
 腕におぼえはあった。実際彼は強かった。なによりも、まず見た目が強そうだった。たいていの相手はこれでひるんだ。未成年には到底見えない、丸太とまでは言わないまでも、おとながやっと手を回せるくらいの二の腕に、ボサボサの真赤な髪。親から譲り受けたのはそれらの有利な身体的特徴だけで、名前ですら彼が他人から呼ばれたものを、いつの間にか自らそのように名乗っていたものだったし、ましてや喧嘩の作法などは、自己流もいいところだった。時々、強いおとなを見つけては、喧嘩をふっかけて、買ったり負けたりしながら喧嘩を覚えた。もっとも、負けることはなかった。彼の生きていた世界で「負け」は死を意味していた。
 彼は強かった。
 しかしバカだった。残念なことにいささかバカだった。
 ゴミダメのような街であろうと、多少の金がないと生きてはいけないので、時々彼は働いた。食堂の皿洗いからはじまって、接客、販売、チラシ配り、その他少々合法的ではないことまで一通りやった。どれも長続きはしなかった。彼は具体的に働くことが苦手だった。だがそのことを「バカ」というのではない。それらは「協調性がない」「忍耐力がない」といった、もっと適切な別のことばで言いあらわせる事柄である。もっとも、どれも彼の場合とはいささか異なっていた。彼はただ、なにかに打ち込みつづけることが苦手だった。続け続ける行為が苦手だった。いつのまにか疑問が沸いた。
 ここで。
 このようなことを。
 おれが。
 なぜ。
 どうして。
 それだけだった。そしてそれこそが致命的だった。疑問を抱いてはいけなかった。「なぜだ?」の疑問を発することは、ゴミダメのような街の中に生きていくうえで、もっとも危険な行為だった。幼いころの彼は悩まないことで生き延びた。彼はそのとき幼すぎたし、周りの出来事をすべて自分の側にひきよせることができずにいた。
 それが今は違う。彼は「なぜだ?」と考えることができた。
 その一点において彼は「バカ」だったのである。残念なことに、「バカ」を生かしておけるほど、ゴミダメの街は優しい街ではなかった。しかし彼は「バカ」だった。「バカ」であることをやめること、それは、彼が彼でなくなることのようにも感じられた。
 彼はそのようにして「バカ」であり続けた。そして「バカ」でもできる仕事が、裏稼業であり殺し屋だった。とどのつまり、殺し屋とは頭よりもまず手を動かす仕事であった。あるのは刹那の連続であり、続け続けることもなく、そこに「なぜ」の入る余地はなかったのである。彼はふたたび、考えることをやめることになった。目の前に立ちはだかる、より強い敵に立ち向かうことこそが、彼の重要な課題となった。

 彼は考えても「バカ」だったし、考えなくても「バカ」だった。

 やがて似たような「バカ」と出会い再会することで、彼は己自身のバカさ加減を再確認することとなるのだが、それはまた別の話。