漫  画
15.聖おにいさん// 14.この世界の片隅に// 13.PLUTO// 12.その向こうの向こう側// 11.ジパング// 10.ヘタリアAxic Powers// 9.シューピアリア// 8.ブッダ// 7.アスクレピオス// 6.カイン// 5.バガボンド// 4.だめんず・うぉーかー// 3.最終兵器彼女// 2.長い道// 1.二十世紀少年




ア ニ メ
5.FLCL// 5.空中ブランコ// 4.シャングリ・ラ// 3.東のエデン// 2.ラストエグザイル// 1.灰羽連盟









漫  画

15.聖おにいさん@〜C
中山光

このひとはなぜこうもポンポンとギャグが思いつくのでしょうか。手塚治虫の「ブッダ」と合わせて読めば面白さ倍増です。どうでもいいですが、この漫画に限っては、間違ってもカップリングが生まれる心配がなさそうなので、とても安心できますね。
14.この世界の片隅に(上・中・下)
こうの史代

このひとの作品は文学的だと思った。なんとなく。
歴史の物語を読むたびに、加えてあの戦争の物語にふれるたびに、「やはり私には理解できない」という思いを新たにする。どれだけ手をのべても絶対に知ることができない当時の事情を知ったかぶりしたくもないが、ああこの時代に生きた人たちの心情というものは、今の私たちは完璧に失ってしまったと思うたびに、せつないような気分になる。ただまあ、類似する状況は、ネットや掲示板といった空間に、少なからず身の回りにあふれているのだが、それらと、かつてあの時代に生きた人々とのそれとは、おそらく似ていて、完璧に非なるものなのだろう。
「お前だけはまともでいてくれ、俺が死んでも英霊などと言わず、馬鹿な奴だったと笑ってくれ」と主人公に懇願する海兵こそ、この物語で語られていない、数多き人々の声なのかもしれない、と思った。

13.PLUTO(全八巻)
浦沢直樹

ロボットと人間が共生している世界。謎の連続殺人を追うロボット刑事ゲシヒトと、七人のスーパーロボットたち、そして『地上最強のロボット』との闘いの話。
人間とロボットの区別が極限までなくなった時代、自分はロボットであるにも関わらず、人間であると思い込むものがでてきても、全然不思議なんかじゃない。

12.その向こうの向こう側(全六巻)
渡辺祥智

水や空気のように澄んだ絵柄が好きで、「銀の勇者」時代からファンです。といっても、どちらも全巻ブックオフのお世話になっているのですが。
今までの作風とはやや異なる感じのお話で、明確な「オチ」はありません。「銀勇」ほどのインパクトもない。「カラット!」程ギャグにもなりきっていない。随分と、中途半端な作品です。著者も、迷いながら描いてたんじゃないのかなあ。
でも、それなのに、なぜか惹きつけられるものがある。それは、主人公・双葉が抱えている、「どこかに逃げ出したい、でもどこにも行けない、ちっぽけで非力な自分」へのコンプレックスを、多かれ少なかれ誰しも抱えているからではないか。その向こうの向こう側、どこでもない世界に駆け込んですらもなお、双葉は無力感にさいなまれています。
世界を救う話じゃない。目的はあるのだけれど、物語の全編に流れる心もとなさの原因は、いったい何なのでしょう。なんだか不思議な話です。代表作ではないけれど、間違いなく佳作。そんな作品。

11.ジパング 1〜32巻
かわぐちかいじ

パールハーバーへ向かう途中、自衛隊200余名を載せたイージス艦「みらい」は謎の磁気嵐に遭遇し、1942年、ミッドウェー海戦の真っ只中にタイムトリップしてしまう。
あくまでも「自衛隊」として活動していく彼らの行動が印象的。
自衛隊に失うはずの命を助けられ、第二次世界大戦の行く末を知った海軍士官は、私たちの知る現代日本ではない「ジパング」を作るために暗躍する。「ありえたかもしれない太平洋戦争」が描かれています。
なにが印象的だったって、著者インタビューのときの言葉です。
「この物語を読んで、若い世代の人が、本当の歴史だと思わないか心配です。」

そう。多分その著者の意識が、下記の漫画とは圧倒的に異なる点。

10.ヘタリア Axic Powers@A
日丸屋秀和

巷で噂の「世界各国擬人化漫画」――

この漫画のおかげで数週間頭を悩ませるハメになりました。おかげさまで私は新聞の「国際」面を真剣に読むようになりましたが。

主人公がヘタレのイタリアで、その友達のドイツと日本が主要人物ってなだけあって、「戦争」とは切っても切れないお話です。一部はただの「お国柄風刺コメディー」としても受け取れるのですが、受容する側としては、「ギャグ主眼で描かれる戦争」というのが新鮮過ぎて、そちらにばかり目が行ってしまう。登場人物も基本軍服です。「戦争」「お国柄」「軍服」等。これらは、漫画を彩る「アイテム」としても、私たちにとっては大変新鮮なものです。

戦争を知らない私たちは「戦争というのはとてもひどいものだ」ということを、学校や本で学んできました。「はだしのゲン」も「火垂るの墓」も「さとうきび畑の唄」も「ピカドン」も――。ほぼ例外といっていい戦争作品が「夕凪の街・桜の国」だったと私は思っています。
そんななか、リアルな体験として「戦争」に全く関わりのない日本の若者が、戦争や国の面白い面をとりあげて漫画にした。そしてそういうものを扱った漫画が「不謹慎」の一言でありふれたウェブ漫画として片づけられることなく、それどころか書籍化することを世間が認めた。
その漫画は、「戦争はつらいもんだ」という語り口とは全く異なった視点で、自虐でも嘲笑でもなく、コメディに仕立て上げた。
「軍隊や歴史や国って結構バカやってるよねーw あ、今もかww」
これって、それまでの「戦争漫画(アニメも)」の、どの語り口とも異なります。そもそも「歴史ギャグ」って時点で日本では珍しすぎるはずです。「戦後」という時代区分も六十年を超えて、出るべくして出た漫画、ともいえるでしょう。

この漫画が他の戦争を扱った作品と決定的に異なる点は、戦争が「アクセサリー」になっている点です。「戦争」はこの漫画の世界観に「あってもなくても構わない」ものなのです(「ヘタリア」単行本二巻からは、戦争・軍隊ネタは激減しています。)だからこそ、「人名」などを利用して、幅広い二次創作活動が出来ているのでしょう。そしてその幅広さが、受け入れられたところでもあるのでしょう。
「アクセサリー」とする立場は、ほかの国がやってるような「風刺」とも異なるはずです。風刺には少なくとも、歴史は切っても切れないはずだから。それに加えて、「よその国はもっとドギツイことやってるから構わない」って問題でもないはずです。「日本」に住んでいる人が、その場所から何らかの情報を発信したとき、それは「日本」という場所の影響を受けずに発信できるものではないはずです。

私たちは、この漫画が「異質」であると認めなければなりません。
そしてそういう漫画を、私たちは私たちの手で広めました。

その意味を、もう一度深く考えるべきではないだろうか。

9.シューピアリア@〜H
ichy

勇者をやっつけるために、勇者に惚れたふりをした魔王様。いつしか本気になっちゃった。勇者は勇者で、勇者の癖に魔物を殺さない。そんな奴らの珍道中。とまああらすじは軽く書けてしまうのですが内容はいたって誠実。「魔物と人間は共生できるのか?」がテーマ。巷ではそのテーマ設定が『刻の大地』と酷似していることで評判です。重さや物語の精度的には『刻の大地』に遠く及びません。しかし、「悪」と「善」とされる双方の心理描写が「恋愛」が絡むことによって深くなっているので、そこは楽しめる。
絵がきれいです。で、要所要所に挿入されるボケがいちいちツボにはまる。なんなの翁めぐみ。

8.ブッダ(全十二巻)
手塚治虫

人間「ブッダ」を描く大河ロマン。
手塚治虫はこれだから天才って呼ばれるんだ。と、しみじみ感じたブックオフ。
7.アスクレピオス(全三巻)
内水融

教会が絶対の権力を有し、外科手術が認められていなかった、とある時代のヨーロッパ。「切り裂き魔」と呼ばれる敏腕外科医・アスクレピオスの冒険譚。
いやー、好きでした。ジャンプ漫画にしては清楚な絵柄といい、「善悪」が表裏一体の点といい。あと、主人公が気弱なのも、新鮮でした。
主人公がラストのほうで「僕は異端者なんかじゃない!」って叫んでますが、あなたがなんと言おうと世間がそう認めない限り異端は異端だと思う。やってることがいくら人助けであろうとも、助けられた人まで異端としてもいいものか?
人助けの物語ではなく、世界を変える物語になるはずだったのだろう。
今回はあえなく打ち切りをくらっちまいましたが、前作「カイン」と比べても、段違いにいい設定だし面白い。
次回作に期待。

6.カイン(全三巻)
内水融

古代中国を思わせる世界観。古の邪法を使って大陸を支配した起動国家「煉」に立ちむかう、一人の少年の話。うーん、青年? どっちゃでもいいか。
ストーリーを詰め込む前に打ち切られてしまったのですが、物語は綺麗に完結しています。全ての伏線を回収する手腕は神だ。

5.バガボンド@〜P
井上雅彦

大変愉快に読んでいたら、父に読んでる巻のあらすじ全部言われた。なぜなら父、小説を昔々に読んでいるので。
そんな感じで、父子で楽しめる大河漫画です。
もらいものなので、一七巻までしか読んでいません。
それにしてもこの方の書く絵には、どうしてこんなに生命力があふれているのでしょう。浦沢直樹とは違う「生」の姿、その躍動感。

4.だめんず・うぉーかー@〜B
倉田真由美

ダメな大人の見本市と言えば、国会議事堂とくらたまですね(酷)
なぜこうもDAMEな男たちに女は引っかかってしまうのか? それって、やっぱり、「よりよい男と巡り合いたい」というメスの本能なのだろうかしら。男に包丁で刺されて血がダクダク流れているというのに、「でも彼急所は外してくれた」と言ってほれなおす女。顔だけで付き合ってしまう女。嘘つきな彼氏に騙され続けてる女、女、女。でも、大半の女はこういう生き物なんだけど、どっかで恋に加減をしているから、そんなメタメタにやられることはないのかもしれない。この人たちは、本当に「恋」なるものを目指して邁進しているのかもしれない。だって、そうしている自分が、一番カッコイイのだ。

3.最終兵器彼女(全七巻)
高橋しん

愛は地球を救わない。
お話は、恋愛物語としては面白いので最後まで読みましたが、私はこの話があまり好きではありません。「え?だから何なの?」って感じが苦手です。男の子がいて、女の子がいて、女の子が世界を揺るがす戦争兵器となっているにも関わらず、男の子は何にもできないんですね。で、男のは何もできない自分を呪ってるんですよ。
はいそうですか。
この「けだるさ」が、今日本をはじめとする世界中に溢れているのでしょうか。ブラウン管を通して眺めているような、薄いヴェールを通して世界に触れているような、現実味の希薄さ。そんなものとっくの昔に知っている。
おまいら世界の中心で愛でも叫んどけ。
……「セカイ系」が何たるものか、よく分かりません。

2.長い道
こうの史代

洗濯機が二層式であったことに衝撃……いやどうでもいいんですが。
甲斐性ナシの夫、ノー天気の妻。赤の他人が一つ屋根の下で衣食住を共にする不思議。それってとても、奇妙でおかしい。愛もへったくれもないはずなのに、いつの間にかしっかり「夫婦」になっている、二人の姿が微笑ましい。
貧乏だけどつつましく(?)その日その日を生きる生活。今の日本にこんな夫婦はきっとない。けれど、どこかでだれもがこんな形の生を生きている。

1.二十世紀少年(全二十一巻)/二十一世紀少年(上・下)
浦沢直樹

秘密基地を守るために戦うコドモたちの物語。大切なものすら守れなくて、人はしばしば涙を流す。涙を勇気にかえた大人たちの冒険譚。
その昔、アメリカで「宇宙戦争」という名のラジオドラマが放送されました。音楽番組の合間に突如、「大変です。火星から宇宙人が襲来しました」という緊急ニュースが入ります。レポーターの慌てふためく声、逃げ惑う人々の悲鳴――やがてそれらはラジオドラマということを忘れられていきました。侵略者におびえるアメリカ人の心理を表したともいえますが、マスメディアの影響力を人々に知らしめた、象徴的な事件でした。
今、日本は指導者を欲しています。強力な安心感を与えてくれる枠組みの中に暮らしたいと願う人が増えています。それは、かつての江戸時代、あるいは戦時中、あるいは戦後の高度成長期だったのです。
たくさんの人々が一丸となって、一つの目標に足並みをそろえた時代がありました。そんな時代は不幸ではありません。人々にとっては幸せなのです。なぜヒトラーはあれほど指示されたのでしょう。なぜ日本人は焼け野原の日本を立て直すことができたのでしょう。自分の存在を強く定義付けてくれるリーダーと、目標があったからなのです。
さて、今の日本はどうでしょうか。「ともだち」が到来する世界は、そう遠くないのかもしれません。そしてその時代、「そんな奴は友達なんかじゃない!」と言ってくれる誰かは現れるのでしょうか?私たちはどちらについていくのでしょうか?










ア  ニ  メ

6.FLCL(フリクリ)
GAINAX/ / /日本
どこにも行けない街とその憂鬱な日常を生きる少年少女の物語。「特別なことなんてない」とつぶやく言葉が印象深いアニメ。エヴァ製作後のガイナックスはよい仕事をしているらしいですよ。『アベノ橋魔法☆商店街』もちらっと視聴してみましたが、はっちゃけギャグに心躍りました。

でフリクリです。いたるところで流れる「The Pillows」といい、分かったようでどうにもつかめない物語といい、ガイナックスやなーと思います。特にThePillowsの楽曲は、製作にこだわりを感じます。作品の雰囲気にピッタリです。「どこにも行けないことを知っている」上で「どこにも行けないけど、いいよそれでも」とつぶやいたとき人はオトナになれるのかもしれない。作品テーマの「子どもから大人へ」を意識してみると、なんかエヴァとも通じるところがある、イタセツナイ作品です。

加えてどうでもいい話ですが、ガイナックスは本当に「魔女」が好きだと思いました。フリクリもそうですが、アベノ橋〜のほうも、頼りなげな主人公(少年)をリードするのは常に女の子。しかも、ジブリ作品のような力強い女性像ではなくて、ミステリアスなところを含み、その部分をもってして主人公に道を示したり、あるいは自らが問題に巻き込まれることで、主人公を成長させるポジションにある気がします。綾波さんもそんな感じっぽいし(実はエヴァは「序」しか観ていませんが。)

演出面では、ナレーションが特徴的だと思いました。やってることはギャグ? だったり少年漫画? っぽかったりするのですが、このナレーション(主人公による状況解説)が、なんとなく雰囲気を作っています。少女マンガみたいな心情吐露をやらないあたりが観ていて気持ちいいです。

5.空中ブランコ
東映アニメーション/中村健二/2009.10-12/日本

全十一話。原作は、奥田英郎の『空中ブランコ』『イン・ザ・プール』『町長選挙』。トンデモ精神科医・伊良部とその患者たちの愉快なお話。原作を大胆にアレンジして、アニメ独特の世界観を作り出すことに見事成功した、アニメ界の常識を覆す「ノイタミナ」にふさわしい作品だったといえます。
風景や人物の顔など、随所に実写が使われているにもかかわらず、その映像はあきらかに「フィクション」。極彩色の街並み、あちこちに浮かぶ斑点、ペラペラの紙人間の人々……。それらはなんか、気持ち悪い。リアルな世界とは、街並みは極彩色じゃなければ人々は実態をもった生身の人間であるはずだから。でも、なぜかこの世界はただのフィクションではない気がしてならない。私たちにとって、満員電車で肩を寄せ合う人々は、なんの実態もない紙人間のはずだし、過剰な色彩の世界はディズニーランドのよう。
意味付けされた世界からあぶれてしまった、なにかしらの確固たるモノにすがれなくなった、そんな人たちが端から心を病んでいく(←でもシアワセ。だって「マトモ」な自分も、程度の差だけでどこかしら病んでいるに違いないのだから。)
「キ●ガイなやつらはすぐそばにケッコーいる」
「だが誰一人としてマトモなやつはいない」
という全編を貫くメッセージが最終話で響きます。
心を病んで伊良部のもとを訪れる人々の中には、結局、病を治せずじまいの人もいる。「人見知り」「優柔不断」「嫉妬」「几帳面」などなど、実は彼らの病とは、ごくありふれたものの一つにすぎない。それらを「病」として押しのけるのではなく、「上手につきあっていこうやないの、肩の力抜いてさあ」とインスタントのコーヒーを勧めてくれる。そんな作品だったと思います。最終話の患者が患者でなかったのが典型的。

下記の「シャングリ・ラ」「東のエデン」に続いて、こちらにも「現代日本」を物語るような描写がありました。十話「オーナー」において、患者が戦後復興期から高度成長期を迎える日本の姿をフラッシュバックするシーン。「まだ未熟なこの国を引っ張りたい」とつぶやく彼の姿は若々しいにもかかわらず、彼は常に死への恐怖を抱いている。やがて自分の老いに気づいたとき「もういい、疲れた」とつぶやくオーナーの姿が印象的。
あらゆるところに「僕のせいじゃないもん」がありふれたこの国が、疲れた、と自ら気づくのは、いつになるのでしょうか。

5.シャングリ・ラ
GONZO/2009.4-9/日本

池上永一の小説「シャングリ・ラ」が原作。この著者の作品は「風車祭(カジマヤー)」というのが大好きです。直木賞候補作だけあり、沖縄を舞台に繰り広げられるお祭り騒ぎが大変愉快なのですが、その次に読んだ「レキオス」という長編が最悪すぎて、それ以来、あまりいい印象は抱いていませんでした。今回の視聴も、ぶっちゃけ「キャラデザが村田蓮爾(ラストエグザイルの人)」というだけの理由でした。ちなみにYOUTUBEには、全二十四話が英語の字幕付きであがってます。
地球温暖化を防ぐために導入された炭素税に苦しむ日本は、東京をジャングルにする計画を実行に移した。「アトラス計画」――中空に都市を建設し、全市民をそこへ移住させるはずだったが、政府が用意した住居は350万戸しかなかった。アトラス市民と、アトラスに入れず集落(ドゥオモ)を作って暮らす人々の格差是正を訴えて、反政府組織「メタル・エイジ」総裁・北条國子が立ち上がる。

いやはや、大変面白かったです。「炭素税」という、五十年後ぐらいにはグローバル規模で実現しそうな設定や、「アトラス」とドゥオモの格差問題、ゲーム感覚で操作されていく電子マネー。どれもこれも面白かったです。「東のエデン」といい「空中ブランコ」といい、なにか「日本」がキーワードになるような作品をここのところ立て続けに見ている気がします。こちらも、「この漂える国を治め固め成せ」という印象的な台詞が登場します。その言葉に従い生まれたのが「アトラス」なのですが、それに反抗する國子たちは、新しい世界を作ると望みます。
「新しい世界」――これもまた、多分フィクション。新しい世界の創造がリアルに望めないから、こういうアニメが生まれるのかもしれない。

ラストがやや駆け足だったのが惜しまれますが、複線の回収といい、視聴者を引き付けて離さない手腕といい、「さすがゴンゾー」って感じです。EDとラスト二分くらいのつなぎが毎回秀逸でした。はちゃめちゃな設定で、はちゃめちゃな話なのですが(例:主人公の武器は戦車も貫くブーメランで、その心の支えは鞭を操るオカマであり、彼女?を姐さんと慕うオカマは元相撲取り、相撲取りが女官として使える子どもは、膠原病のため外に出られない上に嘘をついた人間をしに至らしめる能力があって、幼女を溺愛する女医はサドでありマゾ……書き始めるともっといろいろスゴイことになってくる)、そんなはちゃめちゃ設定をものともせず、毎回しっとりと終わらせてくれたのが、全二十四話という決して短くはない物語を全話見れた要因の一つだと思います。アニメオリジナルキャラクターの「Z4」もいい味だしてました。原作の余分すぎる設定をまんべんなく省き、アニメの見栄えがする設定を上手に付与されていたと思います。

間違いなく、「アニメ化することで質がよくなった作品」のひとつ。
原作読んでないけど。読む気もないけど。

3.東のエデン
/2008 /日本

全十三話、続きは劇場で。未完結にもかかわらず、このすがすがしさは何だろう。

「迂闊な月曜日」といい、内閣の「ギャフン解散」といい、どうも現代日本とリンクする節々が見受けられて、そこが大変オモシロイところでした。「ノブレスオブリージュ(崇高なる使命)」を与えられた十二人の日本人、百億の金と権力を与えられた彼らは、それらを駆使して今の日本を「よく」するために動き始める。
今の日本に必要なものとは、英雄である。そのことを端的に示唆しているのでしょう。
主人公・森美咲と滝沢朗が「最後の昭和生まれ」という設定も大変面白い。平成に入り(具体的には1980年代なんだろうけれど)、よくわからない重苦しい空気、どうにもならない空気が、この日本に立ち込めてきた。低迷を続ける景気だけのせいでもない、ふがいない政治家たちのせいでもない。なんだかよくわからない、綿で首を絞められるような息苦しさ。そんな空気に闘いを挑むのが、「最後の昭和生まれ」の主人公たち。重苦しさのまっただ中に生きる彼ら(というか、私もですが)に立ち込める無力感が、引きこもりやニートとなる道を選ばせてしまう。
「何かを変えたい」と願う彼らの姿がすがすがしい原因かもしれない。多分、いまやそんな願望を抱くことすら、フィクションだから。

2.ラストエグザイル
GONZO/千明孝一/2003.4-9/日本

少年少女が飛空挺に乗って大空を飛ぶ。そこに、空をめぐる戦争や、策略、欲望がうずまいて、物語を深く色濃くしています。
「大空を二人で飛ぶ」という構図ってとても魅力的です。一人でも飛べる。でも、誰かが一緒にいるからさらに高みへ届くんだ。大空を飛翔する小さな小さな飛空挺の流線形の姿が大変魅力的です。そのスピード感は、尾崎豊がバイクで感じた疾走感なんだろうな。「死」の際を走る感覚。怖いけれどやめられない、見たいな。だから人は空に憧れるのかな。
とにかくCGがきれい。雲、空、飛空挺。物語に惹きつけられる大きな要因の一つ。
「ここではないどこか」へ向けて飛び立つ若者たち。自分達が越えようとしていた壁は所詮枠組みのなかでしかなかった。
それよりさらに大きな壁を超え、若者たちはどこまでも飛んで行く。
たどりついた先で飛ぶ空は、どこまでもどこまでも終わりがない空。
「どこまでも飛んで行ける」という感覚は、私達が今一番欲しいものかもしれない。

1.灰羽連盟
RADIX/安部吉俊/2002.10-12/日本

とにかく、世界観が素晴らしい。温かみのあるデザイン。どこか寂しげな音楽。描かれる人々の姿。とにかく、すべてが美しい。国の内外を問わず愛され続けている理由が分かります。時々、突発的にもう一度観たくなるアニメです。

周囲を壁に囲まれたグリの街には、「灰羽」と呼ばれる存在がいます。背中に灰色の小さな羽根をもち、卵から生まれます。灰羽たちが生まれてくる年齢は様々。名前は、彼らが卵の中で見ていた夢をもとに、名前を名づけられます。灰羽たちは「灰羽連盟」から「光輪」を授けられるので、外見は天使のようです。彼らはグリの街で一定の年月を過ごした後、「の日」を迎え、壁の外に向けて旅立っていきます。

この物語は、いったい何なのでしょう?
言いたい事を情熱的に語る物語ではありません。グリの街に暮らす灰羽と人々の姿を淡々と描いていきます。だから、物語的な起伏は大変少ないといえます。
ある人は「死後の世界」だと言います。
ある人は「心象風景」だと言います。
いろんな解釈ができるころも、この物語の魅力です。そんな事を考えながら、おいしい紅茶でも飲みながら見たいアニメです。