放課後時間5



 家に帰ったとき、運悪く、ちょうど姉ちゃんが電話していた。ただいまの「た」の字を言おうとした僕は、「騒ぐな」と目で言われて、何にも言わないで、姉ちゃんの後ろを通って二階の自分の部屋に向かった。ランドセルを置いて、下におりてきても、姉ちゃんはまだ電話していた。今日の電話も、長くなりそうだ。
 姉ちゃんは、僕とは三歳はなれてて、今中学一年生だ。毎日のように友達と長電話して、よく母さんに怒られてる。長電話の何が楽しいんだろうって、僕はいつも思う。しゃべりたい事があるんだったら、学校でしゃべればいいのに。
 僕がそういうと、姉ちゃんは決まって、わかりきったような顔をする。オトコには、この楽しみはわからないのよって。わからなくたっていい、と思った。電話なんて、面倒じゃないか。なんで、わざわざ電話する必要があるんだろう。やっぱりわからない。僕のクラスの女の子も、こんなことを毎日してるんだろうか。
 姉ちゃんの長電話でくりひろげられる話の話題は、五分おきに変わっていく。最初は、明日の朝れん(姉ちゃんはバスケット部だ)は何時からということから始まって、次は学校の先生の話になって、クラスのかっこいい男子の話になって、そんなのが積み重なって、一時間とか二時間とか、とにかく長いことしゃべってる。僕らには、絶対ムリだと思う。だって、用事を聞くだけの電話で、なんでそんなに長いことしゃべってなくちゃいけないんだ? 
 今日の姉ちゃんの話は、小学校のことだった。姉ちゃんは小学校を卒業して、まだ一年しか経ってないから、ときどき恋しくなるんだって。相手もきっと、おんなじ小学校の友達なんだろう。僕も知っている先生の名前とかも、ちらちら聞こえてた。
「そうそう、ヤマダのハゲがうるさかったよねー」
「名札忘れていっただけですーぐ怒鳴ったり」
 何が楽しいのか、全然わからない。僕は呆れ顔で、姉ちゃんの横を通り過ぎた。――過ぎようとしたとき、
「タナカ先生の歳って知ってる? ほら、あのポヤヤンってした、可愛らしい先生。そーそー。若く見えるでしょー。でもねえ実はねえ、聞いて驚け、今年三十六歳なんだって! うん、そう。ホントだよ。ビックリでしょー。あたし、もっと歳だと思ってた。先生子どもっぽいトコあったけど、ほら、目の辺りとか小じわ寄ってたじゃん? 四十歳くらいかなーとかね。あはは、そうそう。でさー、二組のササキの話なんだけどー」
 今度は中学校の話に戻ったみたいだった。姉ちゃんの会話の速度には、着いていかれない。姉ちゃんの友達は、よくあんなのとおんなじくらいの速さで着いてけるもんだ。
 姉ちゃんの話は、ほんとにビックリな話だった。僕は姉ちゃんを振り返った。姉ちゃんはちらりとこっちをみると、あっちへ行けと手を振った。だけど、ここは引き下がれそうにない。僕はしつこく姉ちゃんの傍にい続けて、姉ちゃんの電話が終わるのを待った。姉ちゃんの電話は、最低でも一時間は喋り続けている。電話のデジタル時計は、まだ十四分を数秒過ぎたところだった。長いことまたされるなあと思っていたら、姉ちゃんは意外とすぐに電話を切った。
「ちょっと、なんかあたしに用事なの?」
 電話のときよりも、声のトーンが下がってる。姉ちゃん、友達の前ではエエカッコしいなんだ。でもいまはそんなこと言ってる場合じゃない。
「姉ちゃん、タナカ先生の歳知ってたの?」
「え? ええ、まあね」
「なんで?! どうして?! どうやって聞いたのさ?!」
 僕らがあんなに苦労したのに、姉ちゃんがどうして知ってるんだよ。そんなのズルイ。世の中はずるい事ばっかりだ。
 僕があんまり必死だったから、姉ちゃんはちょっとびっくりしたみたいだった。
「どうしても何も、知ってるんだから知ってるのよ」
 悪い? とでもいいたげな顔だった。いいえ、全然悪くなんてないです。長電話を邪魔された姉ちゃんは、怖い。僕は引き下がった。姉ちゃんがどうして先生の歳を知ってたのかは、結局わからずじまいだった。姉ちゃんは、女の情報網をなめちゃダメよって得意げだ。なんだよそれ。
「そういえばあんた、今担任タナカ先生なんだったよね」
 だから年齢なんか知りたがったのかーと勝手に納得して、姉ちゃんが言った。わかるわかる、そういう時期ってあるわ。あたしも一時期、知りたかったもん。
 僕は今日のことを姉ちゃんに話してみた。免許証をハイケンしようとしたけれど、先生にだまされて、セーラームーンのカードを渡されたって。このことは母さんには言ってほしくなかったけど、姉ちゃんの秘密を僕はいくつか知っている。おあいこだ。
 姉ちゃんは、僕の話を聞いてびっくりしたみたいだった。あんたたち、大胆な事するのねえ。びっくりっていうか、どっちかっていうと感心してるのかもしれなかった。僕はちょっといい気分だった。
「でもさ、タナカ先生って、車運転してたっけ」
「え?」
 言われてみれば、そうなのだ。ショータは、タナカ先生が免許証を持ってるなんて話、全然しなかった。だけど、僕はなぜか姉ちゃんに反論した。「でも先生、免許証隠したよ」
「隠したんじゃなくて、最初から持ってなかったんじゃないの? あたし、タナカ先生は、いつも電車で学校に来てたような気がする。あんたらって結局、本物の免許証見てないんでしょ」
 そうだったのかー! 僕は激しく落ち込んだ。僕らの計画は、最初っから失敗に終わるウンメイだったんだ! 切ない。こんなのって、切なすぎる。これじゃ僕ら、まるっきりバカじゃないか。姉ちゃんはバカにしたようにへへっと笑うと、
「先生、吉本好きだからねー」
 何の関係があるんだよ。面白いことが好きってことだろうか。
「それに先生一人身だし、きっと、あんたらと遊ぶのが楽しくて仕方ないのよ」
 ……あれ?
 それってどういうこと、って聞こうとしたけれど、姉ちゃんはさっさと自分の部屋へと戻ってしまった。僕は質問するチャンスをのがしてしまって、姉ちゃんが戻ってきて邪魔だからどけといわれるまで、しばらくぼけっと突っ立っていた。
 先生って、結婚してなかったの?
 でも、あのとき、この写真は自分の家族だって言ってたのに。
 どういうことだろう。
 これってどういう意味だろう。
 もしかして――?

「あのときの先生の話は、ホントのことだったのかな」
 僕らは鉄棒で『こうもり』(ひざを引っ掛けてぶらーんってするアレだ)をやりながら、昨日のことを話していた。僕は姉ちゃんから聞いた先生の年齢の話をした。先生に家族はいなくて、ひとりだってことも話した。教室だと目立つから、いつも運動場のすみで忘れられている、鉄棒にやってきたってわけだ。ここならだれも来ない。鉄棒なんて、授業のときくらいしかしやしない。
 ショータはよいしょと起き上がって、鉄棒の上に座った。
「でも、先生に家族はいないんだぞ。交通事故で死ぬわけないじゃん」
「死んじゃったからいなくなったんだよ」
 だから、写真をいつも持ってるんだ。シンゴはわかりきったように呟いた。僕も頷いた。
「そんなもんかなあ」ショータは納得いかないみたいだったけど、僕は絶対そうだとおもっている。だって、家族の写真なんて大切に持ち歩くだろうか。持ち歩く人もいるけど、一枚なくなったくらいで、あんなにあわてるものだろうか。
 ショータはううんと考えてから、すぐににぱりと笑った。
「でもさ、これで先生の年齢もわかったな」
 ショータの言葉に、うん、とシンゴもうなずいた。だけど、スルメが歯に詰まって取れないときのような、難しい顔をしている。僕もうなずいた。僕の顔も、そんなふうになってるんだろう。ショータの表情もなぜか浮かない。きっと二人とも、僕とおんなじことを考えてるんだ。
 僕は、僕らは思うんだ。先生の歳がわかったところで、それは、全然意味のないことだって。
 オトナだけじゃなくて、僕らもそうなんだろうけど、どれだけ生きてきたかってだけが『年齢』じゃないんだ。先生は、辛い事とか悲しい事とか、ううん、それだけじゃなくて、楽しい事とか嬉しい事とか、全部を経験したんだ。もう十分なくらい。だからきっと、先生はいま三十六歳だけど、ホントはもっとオトナなんだ。
 うまく言えないけど、きっとそうなんだ。
 だから、ショータもシンゴも、もちろん僕も、先生の歳はわかったけれど、なぜかすっきりしない気分だった。
 僕らもいつか、オトナになる。ハタチになって、お酒が飲めるようになって、タバコが吸えるようになって、車が運転できるようになる日が来る。だけど、オトナになるってそれだけじゃないと思う。
 ハタチになったからって、それだけでオトナになったって認めるのはおかしい。十歳だけどオトナになった人だっていると思うし、五十歳だけどまだコドモの人だって、きっといるはずだ。
 だから、僕らは思う。オトナの歳なんて、誰にもわからないんだって。生まれてから何年たったとかじゃない。オトナになるってことは、そんなんじゃないんだって。
「俺らは、どんなオトナになるんだろうな」
 ショータが呟いた。僕とシンゴも起き上がって、鉄棒の上に座った。
「どんなオトナになるのかな」
 そんなの、先のこと過ぎてわからない。オトナになれるのかだってわからない。
 なにも言えなかったから、僕らはだまって空を見上げていた。広くてでっかくて、ちっぽけな自分がイヤになった。
 長い飛行機雲をひっぱって、飛行機が青空をよこぎって飛んでった。こういうのを、透き通るような青っていうのかな。まぶしいくらいの、いい天気だった。



おわり

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>>本屋さんオープン時からあった旧作です。個人的にはなかなか気に入っています。小学校のセンセって、年齢不詳だと思うんですよね、ほんと。若い〜と思ったら、結構上だったり。その逆だったり。やはり先に生きている人なだけ、人生経験が出てくるのでしょうかね。永遠の『学校の七不思議』だと思います。

>>補足の補足
「本屋さん」というのは、高校生〜大学生のころに運営していた「となりの本屋さん」というサイトのこと。ということは、古く見積もって高校一年生のころに書いたものだということですね。青臭さ全開です。