泉の精がいなくなったワケ



 これは、わたし達が忘れてしまったお話。

 あるところの小さな村に、一人の木こりがおりました。毎日、木こりは森で木を切ります。それが木こりの仕事です。木こりは今日も、いつものように、森へと出かけていきました。
 ところがある日、木こりが森で木を切っていると、手が滑って、斧を泉へと落としてしまいました。
 ああ、大切な斧が!
 おもたい斧は、すぐに泉の底へと吸い込まれて見えなくなってしまいました。
 木こりは悲しみました。そして、すぐにあることを思い出しました。
 そういえば、何かで聞いたことがあるぞ。泉に斧を落としてしまって困っている木こりに、泉の底から泉の精が現れる。そして泉の精はこう言うのです。
 ――あなたの落とした斧は、この金の斧ですか。それとも銀の斧ですか。
 泉の精の問いかけに、違います、鉄の斧です、と正直に答えると、ほうびとして金と銀の斧の両方をもらえるのです。
 木こりは泉の底を見つめました。ですが木こりは、金の斧も、銀の斧も必要ではありませんでした。金や銀でできた斧なんか持ったら、重たくて使いにくいですし、何より鉄より柔らかいから、木を切ることなんかできません。
 鉄の斧が戻ってこなければ、木こりは仕事ができません。それはとても困ります。
 そこで木こりは言いました。
 もしもし、泉の精さん。聞こえますか。いらっしゃるなら返事をしてください。
 泉はしんとしています。やっぱりこんなことはありっこないと木こりは思いました。泉の精が助けてくれるなんて、なんて非ゲンジツテキ。
 ですがしばらく待つうちに、泉の深いところから、ぽこりと空気の泡が浮かび、水面まで来てぽかりと割れました。これは泉の精の返事に違いない。木こりは喜んで、こういいました。
 お騒がせしてすみません。わたしは先ほど斧を落としたものです。わたしには金の斧も銀の斧も必要ありません。後生ですから鉄の斧を返してください。
 すると、続けて気泡がぽこぽこ浮かんだかと思うと、たちまち泉の表面が七色に輝いて、中から泉の精が現れました。美しい七色の衣を身にまとい、手には、鉄の斧を持っていました。
 泉の精は言いました。あなたはとても正直ですね。この斧はあなたへお返しします。
 ありがとうございます。木こりは鉄の斧を受け取って、泉の精にお礼をいいました。ありがとうございます、本当にありがとう。ああよかった、これで仕事にもどれるぞ。木こりは喜んで、村へと帰ってゆきました。
 残されたのは、泉の精。手元に残った金の斧と銀の斧を見比べて、首を傾げました。喜ばれると思って用意してみたけれど、どうやらこれらは不要のものらしい。不要のものを渡しても、ゴミと一緒に捨てられるだけだ。それはあんまり嬉しくない。
 泉の精は、長い時間考えました。そうしてようやく思いつきました。最近では、もう斧を使って木を切る人もいなくなってしまったから、もっと他の、役立つものをプレゼントしよう。
 そこで泉の精は斧のかわりに、懐中時計を用意しました。一日一回、ネジを巻いて動かすのです。正直な人には落としものを拾ってあげて、それからごほうびに、この時計もプレゼントするのです。時計はとても高価なものだそうだから、これはきっと喜ばれるにちがいない。
 泉の精はうれしくなって、誰かはやくやってこないかしらとフキンシンなことを考えました。
 そうして、長い時間が経ちました。ある日のこと、泉にぽちゃんと何かが落っこちてきました。おや、ようやくやってきたようだ。泉の精は大急ぎで水面に現れました。
 落し物は――これはびっくり。落し物も、時計のようでした。
 待っていたのは男の人でした。あなたの落し物はなんですか。金の時計ですか、それとも銀の時計ですか。金の時計も銀の時計も手元にはありませんでしたが、泉の精はそう聞きました。
 はい。わたしが落としたのは金の時計です。男の人は言いました。頼むから早く返してくれないか、待ち合わせの時間に遅れてしまう。早く行かないと取引先がいなくなっちまうんだ。
 男の人は、銀色のジュラルミンケースを大事そうに抱えていました。不安そうにきょろきょろあたりを見回していて、なんだか怪しい人でした。
 それにしても、なんとずうずうしい人でしょう。泉の精はびっくりしました。ウソはあなたのためにはなりませんよ。泉の精がそういうと、男の人はいいました。いいや、俺が落としたのは金の時計だ。ようく見てみろ、あんたの拾ったその時計は俺のものだ。
 泉の精は二つの時計を見比べました。まず、泉の精が用意した懐中時計。時間が経って古くなってしまったけれど、まだちゃんと動いています。それから、さっき拾った時計。懐中時計とは違って、ちいさくて、ベルトがついています。それからその時計は金色でした。
 はあ、たしかにあなたの言うとおりです。この時計はお返しします。泉の精は拍子抜けして、時計を男の人に返しました。それからあなたは正直だから、こちらの時計もあげましょう。プレゼントです。泉の精はうきうきしながら、用意していた懐中時計をさしだしました。
 ですが男の人は、首を横に振りました。そんな古い使いにくそうなものはいらないよ。俺には金の腕時計があるからな。だいたい最近、電気屋から時計を大量にもらうんだ。もうそろそろおき場所がなくなってきちまった。だからこれ以上時計はいらない。男の人はそう言って、すたこらと森の奥へと消えていきました。
 男の人がいなくなってから、泉の精は考えました。もはや時計は、珍しいものではなくなっているようです。そこで泉の精は考えました。斧も時計も不要のものらしい。それなら他のものをプレゼントしよう。泉の精は考えました。
 そして今度は、すぐに思いつきました。
 なにも、高価なものにしなくてもいいではないか。そこで泉の精は、森の動物達に頼んで森の花を摘んできてもらい、大きな花束を作りました。赤や黄色、ピンクに白。きれいな色とりどりの花束のできあがり。高価なものはすぐに高価じゃなくなってしまうけれど、これだったら大丈夫。
 泉の精はうれしくなって、次の訪問者を待ちました。
 ある日、誰かがぽとりと何かを落としました。はいはいただいま! 泉の精は落としもの(赤い水筒でした)を掴むと、大急ぎで水面にあがっていきました。待っていたのはお母さんと女の子でした。めがねをかけてマスクをして、リュックサックを背負っています。ピクニックのようでしたが、ちょっと変わった人たちでした。
 あなたが落としたものは、金の水筒ですか、それとも銀の水筒ですか。金の水筒も銀の水筒もありませんでしたが、泉の精は尋ねました。  泉の精はにっこりわらって言いました。あなたがたは、とても正直な人ですね。水筒はこちらです。それからこれは正直なご褒美に、わたしからのプレゼントです。そういって、花束をさしだしました。
 とたんに、お母さんのとなりの女の子が目を真っ赤にして、ぽろぽろ涙をながしました。鼻水までながしています。そんなに感激されると思っていなかった泉の精もうれしくなって、ほろりとしてしまいました。
 どうぞ、受け取ってください。泉の精はいいましたが、お母さんはその花束を叩き落しました。
 よしてください、うちの子は花粉症なんです。花束なんかもらったら、ますます酷くなるじゃあないですか。今日は完全防備してピクニックにやってきたのに、あなたのせいで台無しです。そんなものは入りません、さようなら! 去り際に、女の子は、くしゅくしゅとくしゃみしていました。なあんだ、感激の涙じゃあなかったようです。
 泉の精はがっかりして、しゅんとして、そうですか、それはすみませんと泉の奥へと引っ込んでいきました。世の中は変わってきたものだ。わたしはこれからどうしようか。
 そして泉の精は思いつきました。
 そうだ、なにもモノにしなくてもいいんじゃないか!
 斧も時計も花束も、どれも不要のものでした。それはきっと、形になっているからです。それなら今度のプレゼントは、わたしの心をプレゼントしよう。気持ちはきっと伝わるだろう。
 泉の精は、正直者には何をしてあげようかと考えていました。肩をもんであげようか。それとも荷物を持ってあげようか。それとも? なんだか嬉しくなってきて、泉の精はうきうき気分でした。
 そんなある日、どぼんと大きな音がして、泉の精は慌てて泉の奥から顔を出しました。なんだなんだ、何事だ。泉の精が表へ出ても、だあれも姿はありません。靴が並べておいてあるだけです。
 あら、おかしいなあ。誰かが何かを落としたと思ったのだけれど、空耳かしら。
 泉の精が戻ろうとすると、足元からぷくぷく気泡が上がっています。これはなんだろう。それから泉の精ははっと気がついて、泉の傍においてある靴と気泡を見比べました。
 ああ、たいへんたいへん! 早くしないと溺れちゃう! 泉の精は大慌てで泉の底へととっかえしました。そしてすぐにその人の体を抱えて、大急ぎで空気のあるところまでもどってきました。
 大丈夫ですか? 泉の精はおそるおそる訊ねました。女の人でした。
 あのう、泳ぐにしてはここは深すぎますよ。近くに川がありますから、そちらに案内しましょうか。泉の精は言いました。
 女の人はなんとか息を静めて、泉の精をキッと睨みました。
 なんてことをしてくれたのよ。女の人は叫びました。これでやっと、楽になれるとおもったのに。あんたが助けなければ、うまくいくはずだったのに!
 泉の精は驚きました。ですが、あなたは溺れかけていましたよ。助けなくては死んでしまうところでした。
 死にたかったのよ! 女の人は叫びました。わたしは、死にたかったの! あんたのせいで、死にぞこなったわ! どうしてくれんのよ! 
 そういって、女の人はわんわん泣き始めました。泉の精は困り果ててしまいました。
 そうですか、それは余計なことをしてすみませんでした。泉の精はあやまりました。
 女の人は泣きやむと、靴を履いて、なにも言わずにふらふら立ち去ってしまいました。泉の精はその後姿を見おくって、はあとため息をつきました。泉の精が何をやっても、人々は喜ばないようです。だったら、わたしはこれからどうしよう。泉の精は考えました。
 そうだ、いい方法がある。泉の精は顔を上げました。
 なにもしなかったらいいんだ。なにもしなければ、誰にも文句は言われない。拾ってあげる事もご褒美をあげることもしなければ、だあれも文句は言いません。
 泉の精は決めました。ようし、そうと決まればわたしは泉を見守る必要はない。ここ何年もゆっくり眠っていないから、ここらでひとつ、ゆっくり眠らせてもらおう。そうして、泉の精は泉の奥ふかくで眠り始めました。

 こうして、泉からは泉の精が姿を消しました。いまでも姿を見せてくれないところをみると、きっと今でも、眠り続けているのでしょう。






>>なんつーか……とてつもなく適当です(笑)製作時間は確かアバウト一時間弱で、完成後はほとんど手直ししてないですもん。ものっそ手抜きです。読んでくれた友人には、「どうなの、これ?」と突っ込まれました。不条理っぽい感じ? でも不条理って何(馬鹿)

>>補足の補足
……なんだこれ(笑)高校二年生頃の作品。