となりの本屋さん



 むかーしむかし、それとも未来?
 いつの時代のことかはわからないけれど、ここではないどこかの町の片隅に、ちいさな本屋さんがありました。
 そこは、目を凝らして見なければ、影に隠れて見えなくて、気がつかずに通り過ぎてしまうような、めだたない本屋さんでした。建物と建物の間にかろうじて建っているような、ちいさなちいさな本屋さんでした。
 ちいさな本屋さんには、おじいさんがひとり、店番をしておりました。真っ白なお髭に、やさしそうな瞳。茶色いエプロンをつけて、ロッキングチェアに揺られながら、日がな一日本を読んでいるのです。おじいさんのとなりには、闇からやってきたような黒猫が一匹、丸くなって寝ておりました。黒猫は、ちいさな本屋さんの唯一の店員さんでした。
 そんな二人の周りには、たくさんの本がありました。どの壁の本棚にも、あふれんばかりに、本が詰め込まれておりました。生きていくのに必要になる本は、ここでは全てそろってしまいそうなほどでした。
 ですが、どういうわけか、本屋さんにお客さんは一人もいませんでした。
 本屋さんの周りには、たくさんのにぎやかなお店が並んでいました。 右隣では音楽屋さんが陽気な音楽を奏でておりますし、左隣では若者達がゲーム屋さんで遊んでおりますし、道路を挟んでお向かいでは、本屋さんの何十倍もあるでしょう電気屋さんがあかるいネオンをきらめかせておりました。
 本屋さんは、にぎやかなお店に囲まれたところにありました。
 店のすぐそばには、大きな道路がとおっていましたし、凄い速さで行き来する新幹線の線路もありました。
 おかげで本屋さんのまえを通る人々はたくさんいましたが、まぶしくて、騒がしくて、いそがしい日々を過ごす人々には、本屋さんはあまりに静かで目立っていませんでした。
 みんな、ちっぽけな本屋さんになんて気もとめず、周りのにぎやかで大きなお店のほうへと向かってしまいます。
 そんなわけですから、本屋さんにお客さんは、これっぽっちだってやってきませんでした。
 ですが、おじいさんは毎日毎日、ふるいご本を読みながら、お店の番をするのです。お客さんは来ないものと知っていましたが、おじいさんにとってはどっちだっていいことでした。
 おじいさんは、こうした時間が好きでしたし、こうして本に囲まれて暮らすことが、好きでしたから。
 さて、そんなある日のことです。おじいさんがいつものように本を読んでいると、カランカランとお客が来たことを知らせるドアのベルが鳴りました。
 おや、いったいぜんたい、誰がやってきたのだろう。
 こんにちは。若い声がしました。ひとりの男の子が、入り口のところに立っていました。
 男の子は不安げにあたりをきょろきょろと見回しています。いらっしゃい、とおじいさんが言いました。男の子は、すこしびっくりしたようにこちらを向きました。
 こんにちは。男の子は、もう一度言いました。
 いらっしゃい。おじいさんも、もう一度言いました。
 あの、僕、本を買いにきたんです。男の子は言いました。ここは本屋さんですから、そんなことは言われなくてもおじいさんは知っていましたが、おじいさんはやんわりと微笑むと、ゆっくりとうなずきました。
 どんな本をお探しで?
 男の子は、はずかしそうにうつむきました。それが、わからないんです。どんな本を探しているのか。だから、それを探してるんです。僕が読みたい本は、なんなのか。
 黒猫が、それじゃあ話にならないよとあくびをしました。おじいさんは、だまって白いおひげをさすりました。
 ふうむ。おじいさんは考えました。それはとても難しい探しものだね。
 はい、僕もそう思います。男の子は言いました。だけど、僕は見つけたいんです。
 おじいさんは、よしと立ち上がりました。それじゃあまずは、これから読んでみてはどうだろう。おじいさんは、右の本棚から、一冊の本を男の子に渡しました。まだ新しい本でした。
 この本は、悪しき竜を光の剣で退治したり、ながい杖で魔法を意のままに操る夢をみせてくれる話だよ。探偵になって泥棒を懲らしめることだってできるし、泥棒になって世界中の金庫から財宝を盗み出すことだってできる。
 世の中では、『物語』や『ファンタジー』と呼ばれるものだよ。
 男の子はお金を渡して本を手にすると、うれしそうに笑いました。ありがとう、僕のさがしものは、きっとこれだよ。
 男の子は、本を大事そうに抱えると、ちいさな本屋さんをあとにしました。
 男の子の帰ったあと、黒猫はおじいさんを見上げていいました。
 あの子の探し物は、本当にあの本だったのかな。
 おじいさんは答えました。
 さあて、どうだろう。
 それから、もしゃもしゃの白いお髭を撫でながら、こう言いました。
 違うようなら、もう一度ここへくるはずさ。

 そして一週間後。おじいさんがいつものように、黒猫と一緒にお店の番をしていると、カランカランとドアのベルがなりました。男の子が、がっかりした顔をして、ドアのところに立っていました。
 どうだった? おじいさんは訊ねました。
 僕の探し物は、どうやらこれじゃあないみたい。男の子は言いました。
 そうか、それは残念だった。おじいさんは言いました。それで、キミはどうするかね?
 男の子は言いました。他の本はありますか? おじいさんはうなずきました。これなんかどうだろう。おじいさんは、左の本棚から一冊の本を男の子に手渡しました。
 この本は、キミよりずっとながく生きている人が書いた本だ。世の中では『伝記』とか、『ノンフィクション』と呼ばれている。この本はキミに、たくさんのものを授けてくれるだろう。
 少年はうれしそうに笑いました。わかった、僕の探していたのは、きっとこれだよ。お金を払うと、男の子は、本を大事そうに受け取りました。 おじいさん、ありがとう。男の子は、スキップしながら本屋さんをでていきました。
 男の子の帰った後、黒猫はおじいさんを見上げて言いました。
 おじいさん、あの子の探し物は、こんどこそ本当にあのほんだったのかな。
 おじいさんは答えました。さあて、どうだろう。それから、読みかけのご本を開きながらこう言いました。
 違うようなら、もう一度ここへくるはずさ。

 それからさらに一週間。男の子は、またまたやってきました。
 おじいさんは、読んでいた本から顔を上げました。どうしたんだい? 帰ってくる答えはわかっていましたが、おじいさんは訊ねました。
 僕の探していた本は、どうやらこれじゃあないみたい。男の子は、もうしわけなさそうにいいました。
 なあんだ、やっぱりこんどもか。黒猫はご機嫌斜めのようでした。だったら、自分で探せばいいのにね。
 だけどおじいさんは、少年に優しく聞きました。そうか、それは残念だ。おじいさんは言いました。それじゃあキミは、どんな本が読みたいのか、結局わからなかったのだね。
 男の子はうなずきました。おじいさん、僕はどんな本を読めばいいんだろう。
 おじいさんは、腕組みをしてかんがえました。うーん、これは思っていたより難しい問題のようでした。足元の黒猫が、面倒くさそうにあくびをしました。おじいさんがかんがえている間、男の子はじっと立って待っていました。
 おじいさんは長いあいだ、そうしていました。そして、ふと顔を上げると、男の子のほうをみて、にっこり笑いました。
 ようしわかった。おじいさんは言いました。
 キミの読みたい本は、きっとわしが探しておいてやろう。あと一週間してから、もういちどここに来るといい。
 わかりました。男の子はうなずきました。一週間後にまた来ます。

 男の子の帰った後、おじいさんは、さあてと腕まくりをしました。ひさびさのお仕事です。それも、とても大変なお仕事でした。あの男の子の気に入る本は、一体全体、どこにあるのでしょうか。小さな本屋さんには、たくさんの本が並んでいます。この中から探すのは、とても大変な仕事でした。
 おじいさんのロッキングチェアに陣取って寝そべっていた黒猫が、気だるげに顔を向けると、うーんとひとつ、伸びをして、おじいさんの足元にやってきました。
 なんだい、お前も手伝ってくれるのかい。おじいさんは言いました。
 仕方ないなあ、おじいさんひとりじゃあ終わらないでしょう。黒猫は、みゃあと鳴いて答えました。おじいさんは、にっこり笑ってうなずきました。
 ようし、それじゃあはじめようか。
 おじいさんはまず、右の本棚から探しはじめることにしました。右の本棚には、最初に男の子に渡したような『物語』がたくさん詰まっているのです。おじいさんは本棚をひっくりかえすようにして探しました。
 あのこはどんな話がいいだろう。おじいさんはたくさんの本を見てみましたが、どうもここにはなさそうです。おじいさんは、黒猫に後片付けを頼むと、今度は左の本棚を探し始めました。
 左の本棚には、次に男の子に渡したような『伝記』がたくさん詰まっています。おじいさんは、本棚をひっくりかえすようにして探しました。
 あの男の子は、どんな話を読むだろう。おじいさんはたくさんの本を見てみましたが、どうもここにもないようです。おじいさんは黒猫に後片付けを頼むと、ロッキングチェアに腰掛けて、かんがえました。
 あの子はどんな話を気に入るだろう?
 あの子の読む本は、どんな話だろう?
 そして、おじいさんは、はっと顔を上げました。
 そうだそうだ、あれがあった。あの本なら、きっと少年も気に入るぞ。そして、自分の机の引き出しの、ずいぶん奥から、茶色の本をひっぱりだしました。
 それは、とても古い本でした。何年も、何十年も、そこで眠っていたような、古い古い本でした。
 あったあった。おじいさんは、嬉しそうに微笑みました。ああ、やっとみつかった。これで、男の子がやってきても心配ないぞ。
 古い古い本を眺めながら、おじいさんは思いました。そして、きっと安心したのでしょう、おじいさんはうとうとして、そのまま眠ってしまいました。
 黒猫が、不満そうにうにゃあと鳴き声をあげました。おじいさん、寝るんなら後片付けしてから寝ておくれよ。本屋さんの中は、本が散らばったままで、とても散らかっていました。ですが、おじいさんは気持ちよさそうに眠っています。
 黒猫は散らかったお店を見回して、この全部を自分ひとりで元に戻さなくてはいけないのかしらと、ふうとため息をつきました。

 一週間後、男の子が本屋さんにやってきました。おじいさん、どうだった? おじいさんはにっこり笑って言いました。
 ちゃあんと見つけておいたよ。おじいさんは、手のひらサイズの茶色い本を、男の子に手渡しました。みてごらん。
 男の子は嬉しそうに本を開きました。そして、あっと驚いた顔をしました。ぱらぱらページをめくって、しばらく本をじっとみつめて、それからおじいさんを見つめました。
 おじいさん、この本? 僕の探していたのは、本当にこの本なのかなあ。
 おじいさんは、ゆっくり微笑んで、いいました。
 それはキミの決めることさ。
 男の子はもう一度本に目を落としました。しばらくじっと、何かを考えるようにうつむいたままでしたが、やがて、顔を上げました。そこには、満面の笑みがうかんでいました。
 おじいさん。男の子は言いました。僕、大切にするよ。
 それはよかった。おじいさんは微笑んでうなずきました。それじゃあ、その本はキミにプレゼントしよう。
 ありがとう! 男の子は、嬉しそうに本を抱きしめて、お店の外へと飛び出しました。
 じゃあね、おじいさん!
 カランとベルが鳴って、お店のドアが閉まりました。
 本屋さんには、もとどおり、黒猫とおじいさんが残されました。

 ねえねえおじいさん。黒猫が、おじいさんを見上げて聞きました。あの本は、どんな本だったの? あの子は、どんな話を気に入ったの?
 ああ、あれかい。おじいさんはいいました。
 なんにも書いていないんだよ。あの本の中身は、真っ白だ。
 黒猫はおどろきました。真っ白な本? そんなもの、どうするのさ。だけど、どうしてあの男の子は、まっしろな本を気に入ったんだろう?
 おじいさんは悩む黒猫にいいました。本の中身は、自分で考えるんだよ。自分だけの本を作ればいい。そういって、おじいさんはにっこりしました。
 そうすれば、男の子の気に入る話ができるだろう? ほかのだれにも気に入ってもらえなくてもね、自分が作った物語なんだ。それだけで、その物語は価値のあるものになるのさ。
 黒猫は、わかったようなわからないような顔で、のどを鳴らしました。それから黒猫は、ぴょいとおじいさんの膝の上に飛び乗って、いいました。
 なんだか難しいはなしだけれど、男の子が気に入ったのならそれでいいや。
 おじいさんはこくりとうなずきました。
 それでいいんだよ。

 ここではないどこかの町の片隅に、おじいさんと黒猫の本屋さんがあります。
 本屋さんには、生きていくのに必要なだけの本は、全部置いてあります。
 勇者になって剣を持って、世界を冒険する話。
 遠い国の、こころやさしいお姫様になる話。
 箒で空をとびまわる、魔法使いの話。
 昔々に活躍した偉人さんのお話に、今なお活躍する人の話。
 本屋さんには、たくさんの本があります。
 本の中には、たくさんの世界が詰まっています。
 さて、男の子はどんな物語を紡ぐのでしょうか。
 きっと男の子は、もう一度ここへやってきます。そして、おじいさんに立派に完成した男の子の物語を見せてくれるのです。おじいさんは、それまで待っていようとおもいます。
 おじいさんには、それが楽しみでなりません。

 いそがしい日常のすぐとなりにある、だけどとても遠いところ。
 おじいさんは今日も、お膝の上に黒猫をのせて、ロッキングチェアに揺られながら、静かに本を読んでいます。






>>本屋さんオープン時からありました。や、べつに『マイブック』の宣伝やってるわけじゃないです(笑)妹に言われましたが。マイブック、いっぺん買ってみたいと思いつつ買えずにいます。毎日も続かなさそうだもんね。
割と時間かけて書いたはずなのに、割とどこにでもあるような話です。でも「です」「ます」調は書きやすいので好き。

>>補足の補足
高校一年生の頃の作品。当時運営していた「となりの本屋さん」というサイトと同名です。