365のお題:16-20



16.気配
   ――やつがいる。
 のんちゃんは既に身構えていた。彼女のいつになく真剣なまなざしは、次の一撃で絶対に奴を仕留めることを私に強く意識させた。やつが姿を見せる一瞬が、最初で最後のチャンスであることは、お互い苦しいほどに理解していた。奴が姿を見せては、我々の力では確実に太刀打ちできなくなってしまう。
 遅れをとっては奴には勝てないのだ、決して。
 武器を握る手に力がこもる。
 冬の廊下は冷気をおびている。足の裏がじんじんとマヒしてくる感覚に耐え、しばし呼吸までも止めて、じっとやつが姿を現すのを待つ。そこにいるのは確実だった。ざわり、ざわりとやつがうごめく気配を感じる。寒気を感じたのは実際に寒いからだけでは決してない。となりののんちゃんと目が合う。のんちゃんはあまりにも悲壮な表情をしていたので、やっとのことで少しだけ笑った。きっと私もいまあんな顔になっている。
 逃げ出したくなる衝動を無理やり押し込め、一歩、また一歩、奴が確実に息を潜める物陰に、歩み寄る。
 ごくり、生唾を飲む。
「いくよ……」
「うん……」
 私達がそれぞれ手にした武器を振り上げた次の瞬間!

 シャカシャカシャカシャカ……

「いやぁぁぁぁぁ!!!」
「きやぁぁぁぁぁ!!!」
 私達はスリッパを投げ捨て廊下を走って階段を駆け上り部屋の内側から鍵をかけた。
「何事や?!」
 となりでFF攻略に精を出していた姉が顔をだした。私とのんちゃんは手に手を取り合い言葉にならないなにかしらを叫んだ。しかしそこは私の姉である。
「あぁ、またかいな」
 あんたらホンマに成長せえへんなぁ、などとぼやきながら、姉はスーパーでもらうビニール袋片手に階段を下りてゆく。わたしとのんちゃんも、恐る恐る、階段を降りる。やっとの思いで戦場に舞い戻った我々を待ち受けていたのは、私達の一挙一動に何ひとつ動ぜず、靴箱から平然と顔を出した後廊下の壁を這い上がってカーテンにへばりついていた頭文字〈イニシャル〉・Gの姿だった。カーテン! 今度の日曜日に洗濯するまでは絶対にあのカーテンに触らないと決意する。
 姉はビニール袋の口をぱっと広げると、じっと動かない奴の上にそっとかぶせた。奴がビニール袋の中に入ったのを確認すると、袋から空気だけを器用に抜いて、くるっと口をしばってゴミ箱に入れた。袋の中の奴はまだ生きているので、時々カサカサと音がしている。その音がまたおぞましくて耳をふさぎたくなる。殺してよと訴えたら、
「殺すのは可哀想やん」
 袋の中で死を待つのも大概可哀想だと思うが、姉、気にしない。仕事を終えて、姉はボス戦やりなおしやーとか歎きながら階段の上に戻っていった。私とのんちゃんもまた、ゴミ箱の中の気配から逃げるように部屋に戻ったのだった。

2008/08/19/tue


17.泣いて泣いて泣いて
 しょっぱい涙は悔し涙らしいので、酸性雨ばかり降らせるかみなり様は大変悔しがっているのだとおもう。
 何にだよ、と自分で自分に突っ込んだ。人間? はっは、ありきたりすぎて笑えてくる。
 大地にまともな雨が降らなくなって早二年。かつて緑の大地と呼ばれたこの星は空も水も土も見る影も無く酸に汚染され、俺達はいたるところで発生する竜巻に飲まれないよう、まだかろうじて酸に侵されていない大地にしがみついて生きていた。
 世界が遠からず死ぬことにようやく気付いたとたん、国中の預言者は口をそろえて終末を告げ、神の国の到来を唄い始めた。うそこけ、と誰もが思っているけど口には出さない。この数年で、終末は本当にただの「終わり」にしか過ぎないということを、俺達は知ってしまった。
 その日も、午後になると三度目の酸が降り始めた。鉄筋の建物の下で雨宿りをする。ここも昔は天に向かいそそり立っていた巨大な建築物が立ち並ぶ、世界でも有数の大都市だったらしい。今や見る影もなく、大都市を象徴した天まで届かんばかりの高層ビルは柱を酸に侵されて、崩壊寸前といった体たらくだ。この土地にいったいどんな文明があったのか、今となっては知る由もない。ただ、こんな世界をよこしたくらいなのだから、きっとロクでもない文明だったのだと思う。
 建物には先客がいた。旧市街地の遺品を回収しに来たガタイの良い兄ちゃんたちには俺にも顔見知りがいる。俺達は都市部で金目のものを拾っては、その道のコレクターに売りつけて資金を稼いでいるのである。人様の物をネコババしようってくらいだから、どいつもこいつもろくでなしに決まっていた。
 顔に傷のあるやつ。たくましい二の腕に薔薇とどくろの刺青のあるやつ。――そこに混じって、一人、女の子の姿。
 ……しかも、おいおい、独りぼっちか。こんなところに来たら、男どものいいようにもてあそばれて、身包みはがされ捨て置かれるのが関の山なのだ。そんなことくらい年頃の女の子なら誰だって知っている。
 俺がぼんやり眺めていると、振り向かれてしまった。慌てて目をそらす。他人と係わり合いになるのはこの町でも一番のタブーである。どんな厄介が待ち受けているか分からないからだ。しばらくじっとうつむいてから、横目で伺うと、女の子は特に傷ついたふうでもなく、きょろきょろとあちらこちらを見回している。田舎もの丸出しだ。そんな姿をかくすふうでもないのに、だれもそいつに興味をとめるふうではない。すこし疑問に思うが、気にしないことにする。
 しかし、再び目が合う。彼女は今度はにっこりして、あろうことかこっちに向かって歩いてきた。
 逃げるわけにもいくまい。
 俺は渋々口を開いた。
「……用がないなら、さっさと帰ったほうがいいぜ」
 雨が、と言いたげに空を仰ぐ彼女に、目を合わさずに俺は言う。
「もうすぐ止むさ」
「そうね。止まない雨はないものね」
 そうさその通りだ。雨上がりの太陽は大地を暖め、草木が芽生える。やがて清浄な大気と水がもう一度この星を包むことだろう。でも、神の預言した「終末」を祝うプログラムに、もう俺達は組み込まれてはいない。
「あんた、何でこんな所にいるんだ?」
「それはあなたと同じ」
 選べないからここにいるの、と少女は言った。少女の答えは俺の問いに答えたわけではなかったけれど、俺は妙に納得してしまった。
 でも、俺は考えてしまう。選ぶ自由はないにしても、もし、百年前でも、二百年前でも、もしくはどこか違う惑星でも、違う場所に生まれることができたなら。こんなゲームオーバー間近の世界よりはマシだったのではないか? 他の時代や他のところに生まれたほうが、ずっと幸せとだったのではないのか?
「誰だって一緒よ」
「なにが」
「その先に何があるかは、誰も知らない」
 ――程なくして雨は上がる。雨上がりの太陽は今も昔も遠い未来も、同じように大地を照らす。

2008/12/26/fri



18.自慢のコレクション
 桜の押し花。
 すいか割り。
 もみじまんじゅう。
 雪うさぎ。

 初めて一人で読んだ本。
 一等賞の運動靴。
 お菓子のおまけの金バッヂ。
 あの子の横顔。

 へその緒。

2008/10/31/fri



19.イエー!!!
 校舎の影がグラウンドに長く延びる、夕暮れ時。下校のチャイムも鳴り終えて、いよいよ日が沈む時刻になるのに、体育館裏に残る二つの影。
 男の子と、女の子。もじもじと後ろに組んだ手をもてあそぶのは女の子。男の子のほうも、彼女の言葉を予期しているのか、神妙に、だけどできるだけ顔にはださないように、続く言葉を待っている。ついでに脳内、その後の予定でピンク色。いつの時代も変わらない、体育館裏の光景。
 彼らの後方、校舎の影に、ひっそりひそむ二つの影。戦地へ赴く友人の、行く末案じて友人二人、わくわくにやにや、のぞき見中。いつの時代も変わらない、麗しきかな、女の友情。
「全くいつになったら言うのかね」
「引っ込み思案スキル発動中だねーありゃ」
「せっかくうちらがセッティングしてあげたっていうのに」
「いけ!今だ!」
「ああもう見てられませんなあ」
「おっ、動いたぞ」
「言え!言えー!」
「今言わなきゃ、いつ言うんだよー!」
 背後から聞こえる天の声こそ、言えない理由のその一つ。苦笑いした彼の顔に、思わず彼女もにこりとほほ笑む。いたらぬ恋のキューピッドの、あずかり知らぬエピソード。
 握りしめた映画のチケット、やっと渡した校舎裏。

2009/03/16 mon



20.ジャンプ!
 目が覚めると、私はビルの屋上に立っていた。通いなれた会社の屋上だった。柵に寄りかかり下を見下ろせば、遠くの地上には雲よりは役流れる人ごみの群。――まだ夢の中にいるのだろうか。
 三十階建てのビルの上から見ているのに、地上のものは細部まで鮮明に見て取れたし感じることができた。靴紐の色、イヤホンから漏れ聞こえるJポップ、落葉がアスファルトに擦れる乾いた音。
 なにか得体の知れない違和感を感じて身を離す。夢にしては、吹き荒ぶ風も、感触も、妙にリアルなのだ。
「ちょっと、お兄さん」
 後から声がして、はじかれたように振り替える。顔面しわしわのおじいさんが前歯の抜けた口を見せて笑っていた。浮浪者? 衣服はつぎはぎだらけ、ズボンはぶかぶか。
「あんた、そこから飛びなさるんかいね」
 ぎくりとして、慌てて首を振った。
 老人は、何に納得したのかしきりにうなずきながら、そうさな、飛ぶにしては重装備じゃわな、とつぶやいた。
「――?」
「おや、あんたは知らなんだか」
 老人はちょいちょい、と空を指差す。見上げれば晴天。風と太陽に目を細める。青空の中に、ちら、と影が躍った。鳥だろうか? それにしては大きすぎるし、飛行機にしては小さい。
「ごらん」
 ひときわ強く風が吹くと、ビルのはるか下のあちこちから一つ、また一つ、飛び立つ影が躍った。鳥のように見えたものは人だった。背中に翼の生えたもの、靴にバネがついているもの、飛び方は人それぞれだが、皆確かに空へ向かって飛んでいる。
「あんたは、飛ばんのかいね。みんな、飛んでおるがな?」
 なんということだろう。私が大地を行く間に、皆は空を目指して飛んでいたのだ。
 見ると、飛ぶのはいかにも簡単そうだ。私は慌てて柵を乗り越える。びゅお、と下からの風を受けて衣服がはためく。目もくらむ高さに慌てて上を見る。――恐い。やはり私には飛べない。戻ろうとして振り返ると、あるはずの場所に柵は無かった。屋上がそっくり消えていた。残されたのは、私一人立っているのが精一杯といった僅かな隙間のみである。前に進むことも、戻ることすらできない。今まで私は何をよりどころにして、こんな場所に立っていたのだろうか?
「あんたは、飛ばんのかいね。みんな、飛んでおるがな?」
 頭の上で、背中にカラスの羽を生やしたおじいさんが笑う。無理だと私は首を振る。ぶぉ、と下から風が吹いてきた。バランスを崩した私の身体は傾き、体制を立て直そうと踏み出した足は着地すること無く、伸ばした右手は空を掴んだ。傾く私の身体の真正面には青い空が視界一杯に広がり――。
 ずん、と重たい感覚が足の裏を伝わった。
「――あ?」
 私は通勤ラッシュの雑踏の中に立っていた。ビルの上から見下ろしていた風景だった。イヤホンから漏れて聞こえるかすかなJポップが、アスファルトを鳴らす足音にあっという間にかき消された。
 私は足元を見る。そして上を見上げる。先程まで私が立ち尽くしていたビルの屋上。そのもうひとつ向こう側には青い青い空――空の端に、チラリと翻るものがあった。鳥よりも大きく、飛行機よりもずっと小さな黒い影。私はすぐに目を戻す。影は消えていた。
 私は地上に視線を戻す。前を向き、数歩歩いたところで、軽くジャンプしてみる。しがらみから切り離された私の身体は、重力を無視し、風に身を任せるがままどこまでも高みに上ってゆく。

2008/12/26/fri