放課後時間3



 で、次の日の放課後。僕たちは、職員室のまえでタムロしていた。僕とシンゴはもちろんの事、ショータも今になって、しり込みしていた。大抵の事はへっちゃらなショータだけど、今回ばかりはちょっとビビっているようだった。そりゃあそうだ、なんてったって、先生から免許証を奪って、いやいや借りてくるんだから。ショータにしても、こんな大仕事は初めてのはずだ。ビビらないほうがおかしい。
 なかなか中に入りたがらないショータを職員室の入り口に押し出すと、僕らはドアのよこに串団子みたいに縦に並んだ。
「ショータ、ガンバッテいってこい!」
「頑張ってね」
 なんでじゃー! とショータは叫びそうになって、だけどすぐここがどこだったかを思い出して、叫ぶ代わりに僕らを部屋の外へと押し出した。
「何でオレだけなんだよ!」
 もちろん小声だ。
「言いだしっぺはショータだろ」
 ショータは無言で僕の背中を押した。
「お前いけよ」
「えー、やだよ」
「じゃあ、シンゴ」
「なんでボクなのさ」
「おまえ頭いいから」
「頭はよくても度胸がないもの」
「自慢にならねえよ」
 職員室。『職員』の『室』なのだ。なんか怖そうなヒビキじゃないか。職員、つまり先生の部屋なのだ。入る前には「失礼します」とコトワラなければいけないのだ。一歩はいればオトナの空気が漂っているのだ。コーヒーのカップなんかが置いてあったりするのだ。採点が終わったテストなんかが積まれていたりするのだ。
 僕たち……ショータは知らないけれど、少なくとも僕とシンゴは、これといった悪いことはやってないから、ビビル必要はこれっぽっちもない。けれど、それでもやっぱり緊張するのだ。悪いことはまだやってないけど、これからしにいくのだから。
 で、三分後。
「失礼しまーす」
  僕は、職員室の扉をそろそろと開けた。結局、みんなで行くことになった。僕はじゃんけんで負けて、一番最初に突入する羽目になってしまったんだ。左右をきょろきょろ見回して、タナカ先生がいることを確認すると、後ろで待機している二人にも合図を送った。二人は中に入ってきて、僕を先頭に歩き始めた。僕とシンゴは普通に歩いていたけれど、普段からいろいろやっているショータは身をかがめて、一番後ろで少しでも小さくなれるようにして歩いていた。だけどこれじゃあ、かえって怪しまれそうだった。うーん、大丈夫かなあ。
 タナカ先生の机の前に到着した。ショータは、かつてないほど礼儀正しくしている。だれが話しかけるかでまたもめていると、先生がコソコソしている僕らに気がついて、振り向いた。
「あら、なにか用かしら?」
 僕とシンゴは、ショータを前に押し出した。ショータは恨めしそうな顔でこっちを見たけれど、すぐに諦めたらしく、
「センセ、頼みがあるんだけど」
 といった。するとタナカ先生は、ピクリと眉を動かして、
「先生に向かって話すときは、敬語!」
「は、はい」
 よろしい、とタナカ先生は頷いた。タナカ先生、礼儀作法には厳しいんだ。
「で、何かな?」
「ええっと、その、俺……ボクたち、免許証を、貸して、ください、なんです」
 慣れない敬語は難しいらしい。ショータはつっかかりながらも言い終えた。先生は、いぶかしげにショータを見て、ついでに僕らの顔も見た。
「免許証? どうして?」
「ええと、その、あの」
 ショータは助けを求めてこっちをみた。僕を見るな、僕を。顔を背けると、シンゴがショータの前にずいと出て、
「この前の社会見学で、車の工場観に行って、それでちょっと、免許証ってどんなものかなあっておもったんです」
 なるほど。僕たちは思わず納得してしまった。さすが、頭のいいヤツは言うことが違う。先生も、これで納得したようだった。
「そう、勉強熱心なのはいいことね」
 先生は、鞄を引き寄せて、なにやら取り出して、鞄の裏でごそごそした。僕は、先生は将来怪しいつぼでも買わされそうなタイプだなあとぼんやりおもった。ショータも、ここまでうまくいくとは思っていなかったらしく、ニヤニヤ笑いが止まらない。僕はショータの足をふんずけた。笑ったら、バレちゃうだろ。だけど、僕の顔も緩んでいた。さっきまで不安げだったシンゴの顔も、こころなしかゆるんでる。
「失くさないでね」
 先生が言った。ショータは、カードケースを受け取った。――そのときの先生の目が、一瞬キラリと光った。そんなふうに、見えた。気付いたのは僕だけみたいで、僕は気のせいだろうとおもったけれど、実は全然気のせいなんかじゃなかった事を後で思い知らされることになる。
「あ、ありがとうございます」
 案外簡単に手に入ったことに拍子抜けして、僕らは裏返った声で挨拶すると、すぐさま回れ右して、歩いて出口へ向かった。ショータは出口向かって走り出したそうに、足踏みをしていたけれど、そんなことをしちゃあ計画が台無しになることをわかっているらしく、何とか出口まで歩いていった。失礼しましたーとあいさつして、戸を閉めて、職員室をでて、運動場までやってくると、誰かが最初に走り出した。ショータかシンゴか、もしかするとそれは僕だったかもしれないけれど、そんなのたいした問題じゃあない。
 それをきっかけにして、全員が走り始めた。
「秘密基地にいくぞ!」
 誰かが叫んだ。僕たち三人は、桜の木の下に放り出してあったランドセルを引っつかむと一目散に逃げ出した。

 学校の校舎。オトナは知らない、もしくは忘れているかも知れないが、大抵、その裏には子どもの遊び場として最適な草むらがあったり、割れたガラス瓶やら空き缶やら、奇妙な形の石ころやらがたくさん転がっている場所というものがある。僕たちの小学校にも、おんなじように、そんな場所がある。そこがたとえ、たんなる校舎の裏なのだとしても、ひとたび『秘密基地』という名をつけられれば、その場所は僕らにとって、ネバーランドになる。
 職員室から逃げ出してきた僕らは、秘密基地にダッシュした。ショータは僕ら二人を追い抜いて先頭に走り出ると、戦果を上げた兵隊みたいに、ガッツポーズを空にむけて突き上げた。僕らも嬉しくなってきて、先生には悪いと思ったけれど、思いっきり笑った。笑いながら走っていたから、僕らが秘密基地に着いたときには、みんな笑い転げていて、窒息死しそうになっていた。
「案外、簡単、だったな」
「だから、大丈夫、だって、言った、だろ?」
 一番遅れてゆっくり走っていたシンゴは、一番呼吸が楽そうだった。すぐに息を整えると、
「ショータショータ、ねえねえ、早く見せてよ!」
「まあ待て。俺がこの計画を考えたんだ。俺が最初に見るんだからな」
「みんなでとってきたのに、そんなのずるいよ」
 今日のシンゴは一味違う。先生に当てられたとき以外、あんまり喋らないのに。シンゴ、こんな冒険は初めてなんだろう。僕だって初めてだ。多分、ショータも。僕らはみんな、興奮していた。
「わかったわかった、じゃあ、みんなで一緒に見よう」
 ショータはふところのポケットからカードケースを取り出すと、石のうえに置いた。僕らは奪って、いやいや訂正、借りてきた免許証を真ん中に取り囲んだ。
「行くぞ」
 ショータが言った。うん、とシンゴも頷いた。
 ショータは自分達が触れてはならない、神聖なものを触るときのような手つきで、そおっと革のケースにふれた。そして、すばやくぱこりとひっくり返した。
 そして。

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