コタツ布団(マイクロファイバー)を買いました。

エコポイントでもらったカタログギフトで注文した、座椅子が到着しました。

これは、あれか。
コタツから出るなという神のお達しか?

さっそく二時間昼寝しました。至福です。ごまめです。厚手の綿と薄手のマイクロファイバーと、やや迷ったのですが、収納スペースをかんがみて、マイクロファイバーを選択しました。奇跡の肌触り。寝ている間も毛布が重たくありません。春先ならこれ一枚で昼寝できそうです。今のところ、マイクロファイバーにして満足。

これであとは村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」三部作でもあれば、冬籠り体勢が完璧です。
あるいは据え置きゲーム機。来春Wiiで発売予定の『LastStory』が気になっています。(FF9製作陣が多数関わっているとのこと。ヤバイぐらい世界観が素敵なのです。)

2010.10.31(sun)21:28

『千年女優』の舞台化……だと……?!

2010.10.30(sat)21:08

芸能人歌うまい選手権に歌手がでて他の歌手の唄うたうって、どういう現象なんだ、これ?
どうでもいいですが、ルンルン気分で帰った次の日、あんまりにも会社に行くのがおっくうすぎて、なのかしらないけど、とにかく一日寝てました。朝の七時から夕方六時までたっぷり寝ました。それでいて夜は一時に寝れました。たいへんよく寝ましたが今週一週間は毎日寝足りない気がしています。
どうでもいいのは両方です。
ごまめです。

今日は真面目にちゃんとしたご飯を作ろう、とかおもいたち、朝に炊いたご飯と、ホイコーローもどきと、お味噌汁を作ったのですが、味噌汁のなかにそうめん投入して、にゅう麺を試みたところ、そうめん入れ過ぎて、味噌汁の汁のぶぶんが全部そうめんに吸われてしまいました。

それでいま、味噌汁吸ったそうめんたべすぎて、お腹がぶよぶよ(外も内側ものダブルパンチ)しているので、あかんわもう、明日はせっかくの土曜日やけど日記書かれへんわ、と思って一度はテラパッド(果てしなくどうでもいいですが、最近はメモ帳でなくてこちらを使っているのです)を閉じたのですが、内田樹のブログの『映画「ノルウェイの森」を見ました』という記事を読んで、ぶよぶよのお腹持ちあげて、テラパッドに向かう活力を得ることができたので、書きます。

まあ、あれだ、内田樹氏が、映画「ノルウェイの森」を見たらしいのですよ。

で、そのざっくりとしたあらすじ聞いて、とりあえずDVDの旧作になるまでは待とうか、と思いました。なめくじを飲む先輩の話も、レイコをまどわす十三歳の美少女も、楽しい葬式も、ないだなんて! そんならば、映画にする要素が、なんにもないじゃないか! 何を隠そう、って、隠しているつもりもあまりないわけですが、あえて隠していたことにするなら、私は「ノルウェイの森」を二回読んで、二回とも「ふーん」と思いました。(それでその次が「海辺のカフカ」だったので、私は自分で自分のことを「村上春樹は好きじゃない」と思い込んでいたのですが、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読んでから、全力を賭して前言撤回するように努めています。)「ふーん」だった私がかろうじて覚えていた、数少ないエピソードの二つが、十三歳の美少女と楽しい葬式だったのに!
まあもともと見にいくつもりはなかったので、全然構わないんですけど。

そんなわけで、私が今後一番楽しみな映画は、今敏氏の「夢見る機械」です。
ゆめみるきかい、ユメミルキカイ。題名だけで心躍るじゃないか!
それで言うなら、村上春樹も「ノルウェイの森」じゃなくて、「スプートニクの恋人」のほうが、ずっと心躍るとおもうなあ。

2010.10.29(fri)21:08

十月は読書の秋。
まあ、九月も読書の晩夏でしたけど。

ごまめです。

今呼んでいるのは、田中小実昌『ポロポロ』で、今日の仕事帰りから読み進めています。戦争のことについて書かれた文章というのを、どうも好んで読む傾向にあるのですが(岡部伊都子「朱い文箱から」、梅崎春生「桜島」、こうの史代「この世界の片隅で」etc...)こんなに今に近い、といったらなんだか違うんだけども、ああこれ、わかる、こんなことって、私、知ってる、と思えるような「戦争体験」がつづられた書物って、あるもんだなあ、と思いました。いやあ面白い、大変面白い。おかげで帰り道はルンルンでした。小島真由美の音楽聞きながらルンルンでした。どうでもいいですが、私は電車に乗るのが好きなので、仕事に行くのと帰ってくるのがとても楽しいです。まあそのうちそれどころではなくなるでしょう。(といいつつ既に半年。信じられるか、今月頭には来年入社する連中の入社式があったんだぜ……。)

「ブクログ」内にて細々と読書メモを付けているので、よければそちらもご覧ください。まだまだ数は少ないですが、いちおう、読んだ本にはぜんぶコメントをつけています。

それはそうと最近の我が家の本棚。




文庫本の後ろに漫画と単行本の列があります。書籍そのものの数は少ないですが棚のキャパ的にそろそろ限界なんだぜ。入り切らない本が地べたで平積みになっています。いい加減、ホームセンターで安い棚でも購入してこようと画策中です。

2010.10.25(mon)21:46

これを読んでる「あなた」は今どこで何をしている人なのだろう。
ごまめです。
そういえば「あなた」のことを何も知らないのです。
誰かにことばをつたえることの、何と難しいことかと思うのです。でも今日は少しだけ、ほとんど自己満足的に、というか自己満足ですが、あっ、伝わったんだなあ、と思うことができました。

よかったなあ。

よかった?

のか、なあ。

どうだろなあ。面と向かって見つめあって話していても伝わらないのに、私はなにも伝えられないというのに、だいたい伝えたいことなんてあるのかどうかも分からないのに。メールだなんて。「ことば」だなんて。いっそ黙ってたほうがいいんじゃないのか。でもそれはさらにだめだという気がしてきます。「ことば」は誰かにとどかないと意味がないのです。ただし「ことば」は意味ではありません。「ことば」は意味を伝えるのではありません。「ことば」が、とどくのです。意味なんか追っていちゃいけない。「ことば」がとどく、それは事件なのです。
難しいなあ、「ことば」ってやつは。

お、今日はなんだかまともなブログっぽい『日記』ですね。よかったよかった。

ところで今日、書店で綿矢りささんの新作「勝手にふるえてろ」を冒頭だけ立ち読みしたのですが、冒頭を少し読んだだけで、これは名文だわなあ、と思うのです。ストーリーなんかどうだっていい。脳みそに直接くるよな「ことば」というのは、前に山田詠美さんの著作でも感じたのですが、あるもんなのだなあ、と思います。すごいぜ綿矢りさ。すごいんだぜ山田詠美。

2010.10.23(sat)23:18

暮らしているマンションの、道路をへだてた向こう側が隣町です。なので、当然、隣町に足を運ぶことのほうがだんとつ多く(最寄駅もBOOKOFFもそちらにあるし)、自分の住んでるところの市政より、隣町事情のほうが身近です。なんでも近々市長選があるらしいです。駅前が選挙活動の演説で騒がしくなりました。帰り道、市役所の前でポスターを見かけました。すごくどうでもいいですが、あのポスターが貼られる順番はエントリー順だそうです。何十人単位で出馬することになる市議会議員の選挙などでは、一番最初にエントリーするより、十人目位を狙っていくと、ちょうど真ん中くらいに陣取ることができるというわけです。ちなみに選挙カーから手を振っているウグイス嬢のおねーさんは、支援者の親族やボランティア、ってこともありますが、そういうお仕事されてる方だったりします。なので振り返してあげると、お仕事のおねーさんの場合はこっそり喜びます。(と、三日間だけウグイス嬢を体験した私が言います。)
ちなみに、選挙ポスターの上下どちらかの名前が多くの場合平仮名なのは、「覚えやすいように」だそうです。「あびる優」や「劇団ひとり」が有利ですね。さいたま市、なんかもそうなのでしょうか。どうでもいいですが「ごまめ」という名前は目の前にごまめが置いてあったのでそうなりました。漢字を当てるなら「醐麻妹」がいいです。古代日本史の王族か、暴走族にいてそうです。

さて隣町、貼られているポスターは四枚。

一枚目、こどもと戯れる笑顔のおっちゃん。
二枚目、女性。
三枚目、弁護士。
四枚目、地震学者。

?!

お見合い写真を引き延ばしたようなバストアップの写真右に、縦書きで細めの字体で名前が書かれてあり、胸元あたりに、横書きで「○○学者」「××学者」と記されています。それ以外の情報はありません。気になってヤフーニュースで調べてみたところ、本当に学者さんらしいです。
だが何を想ってそのことをアピールしたんでしょうか。よりにもよってポスターで。もうちょっと何かうまいこと書けなかったのでしょうか。他人事ながらとても気になってしまったのでした。でもこの人が当選したら、だれより真面目に裏金や談合といったよの不正に取り組んでくれそうな気がします。
でもぶっちゃけ、「裏金や談合なんざどうでもいいから、うちの子を保育所に入れてくれ!」って人の方が多いんじゃなかろうか。子どもが住みよい街、若い世代を応援する街、と訴えた方が、みんな清き一票を投じてくれる。イメージなのだ。実は実になることは何にもしていなくても、いつも元気な顔してメディアに出てくる首相がでてきたら、にっぽん経済も回復するんじゃないかしら?(なんでみんな、首相になったそばから顔が陰気臭くなるんでしょうね。)

昨日「ノラや」の話をしたと思ったら、今日の金曜ロードショーが「猫の恩返し」だったので嬉しく思い、まるっと視聴していました。劇場公開当時、友人と連れ立って映画館に行ったことを思い出しました。バロンのかっこよさに、当時中学生だった私の心はときめきまくっておりました。当時読んでいた『猫の地球儀』(秋山瑞人/電撃文庫)と相まって、以後猫好き街道まっしぐらでした。アホでした。当時も変わらずアホでした。そして「猫の恩返し」、今見てもやっぱり、このアホさ加減好きやわあ、と思いました。スコーンとした話しを、たまに見たくなります。登場人物のなかで好きなのは、主人公ハルちゃんのお母さんです。フード付きのだぼーっとした部屋着といい、OL→家庭内手工業という遍歴といい、のんきに見えて(たぶん)シングルマザーなところといい。いいですねえハルちゃんの母。

2010.10.23(sat)0:35

のっけからナニな話が続いたせいか、突如来訪者数が激減してしまいました。今後ナニな話はアレするように気をつけようとおもいます。ごまめです。だからどれだよ。でもよくよく考えれば、基本的に私はいつもナニな話ばかりやっています。今日はネットをつないで一発目に目に入ったヤフーニュースが「耳かき殺人 恋愛感情を否定」で何事かとおもいました。
これ、やっぱなんか変だと思うんですけど、私だけでしょうか。

ところで、「ノラや」の百關謳カが『探偵!ナイトスクープ』に愛猫さがしを依頼していたら、そうとうな名作(ナイトスクープ的に)ができていたと思ったのですが、いかがでしょう。昨日晩御飯食べながらメモしました。他に思いついたのは、

・太宰治を自殺させないように日々を送る日常系シュミレーションゲーム
(小説『晩年』を読み進めて、自殺したくなるのがちょっとわかった。こりゃ、自殺するべくしてしたんだなあ。なんて自意識だ。)

・プレイヤーはロンドンの宿屋の婦人になって、夏目漱石が自転車を乗りこなせるようになるまで応援するゲーム
(自転車日記、というのがあって面白い。)

……なんだこれ?
あとは田山花袋『蒲団』の昼ドラなんかでも面白そうです。
さて「ノラや」。探しに行く探偵さんは松村さんか小枝さんあたりだろうか。カンニング竹山でもアリだ。依頼者は近所の女学生。結局探してもみつからなくて、ノラとよく似た尻尾の短い猫がやってくるところで調査終了。西田局長はボロ泣きだろうし、名作選入り、きっとしたとおもうのです。
2010.10.21(thu)22:26

のっけからナニな話でアレですが、テレビつけた瞬間「土曜●時はセカンド・ヴァージン」のCMが流れました。
だがこっちはまだ心の準備ができてない。
ごまめです。これだからテレビってやつは。

『歌謡コンサート』見ています。森山愛子という若手の演歌歌手がいらっしゃって、大変素敵な唄声だったのでウィキってみたところ、私より三つ年上なだけだったのでびっくらしました。ブログを見たらふっつーのオンナノコさんでした。かわういのう。
それにつけても、小林幸子の唄声はええのう。小学生のころ、ポケモン映画の主題歌だった「風といっしょに」をカラオケで毎回唄っていたことを思い出しました。矢代亜紀もええです。ほんと。『一枚のLP盤』が素晴らしかった。
ところで最近、NHKの番組や民放の特集番組で、「INORI〜祈り〜」という歌をよく見かけます。歌詞もいいですが、唄声もいいです。たとえるならば、学校の合唱曲に大活躍しそうな唄です。せめて小学校の間くらい、純粋にこういう歌を聴いて唄っていたいもんだと思います。「ヒロシマやセンソウの勉強をすると先生が褒めてくれる」って知ってる子どもになる前に、こういう歌は唄っとくべきだと思います。

あ、終わっちゃった。

今はニュースをやっています。耳かき店従業員殺害の被告に対しての裁判員裁判が話題になっているようです。最大の注目点は「はじめて死刑が求刑されるか否か」のようです。二人以上殺害したら基本的に死刑対象ですが最近は責任能力も問われるようです。
果てしなくどうでもよくて、しかし誰もが気になっていると思うのですが、『耳かき店』ってなんぞ? 耳かきの専門店ってことを指すのでしょうか。こちらもウィキってみたところ、

『耳かき専門店(みみかきせんもんてん)とは耳垢を除去する行為「耳かき」を主体とするエステやリラクゼーションのサービスを行なう店舗』

……へえ。耳かきをしてくれるところも指すのですね。
事件の起こったところが「耳かき店」となっているだけなので、どちらかちょっと分からないのですが、「雑貨店」とかじゃだめだったのか。『耳かき店で殺人』を見るだけで、なにか思考をさえぎられるようなブットビな事態が頭の中で起こっているような気がします。『養豚所でブタにかみ殺される』みたいな見出しが踊ったらみんなどんな反応するだろう。おいおいブタかよ、そこはワニかクマのような肉食系猛獣類じゃないのかよ、とは思わないか。しかしどこでだって事件は起こりうる。耳かき店だろうが養豚所だろうが起こりうる。暗い夜道を一人で歩く高校生が強姦されたとき「まあ仕方がないんとちがうのん」と思ってしまうのと同等に、「ブタはないでー」と思ってしまう。こういうのって、どうやって乗り越えたらいいんでしょう。新聞屋さんやテレビ屋さんは知っているのです。私たちは殺人という出来事なんかどうでもいいってことに。問題はそこにどんな物語があるかってことに。
困ったもんだよ、ほんと。

2010.10.19(tue)21:15

昨日は正午に目が覚めて、本読んで、三時頃から六時まで昼寝したら気づけば外が真っ暗で、びっくりして、また寝て、とりあえずスーパーのお惣菜売り場で買ってきたコロッケ食べて、本読んで、ディシディアやって、風呂入って寝ました。ごまめです。 今日は寝れる。なんだか今日は行けそうな気がする。どこまでもいける。とか言いながら爆睡二日目の今朝は「親指が二本になる」というケッタイな夢を見ました。古い親指が付け根のところで皮一枚でプラプラしてたので、ぴーっと引っ張ったら取れました。目が覚めたら親指は一本でした。古いほうなのか新しいほうなのかはちょっとよくわかりません。

窓を開けたらとても気持ちのいい風が吹いてきて、ああ気持ちいいなあ、秋っていいなあ、とか思ったのですが、ひたすら外に出たくなかったわけです。面倒くさかったし眠かったのです。でもそういう日もあるのです。どうせ明日になったらいやでも外にでなくちゃなんないんだしな。月曜日なんだからな。
いや、でも本当にいやだったら、出る必要もないわけだ。
線路を見たら自殺したくなったり、玄関で靴を履いたら「盲腸かっ!」と思うくらいの腹部激痛が襲ってきたりするくらいなら、もう外でなくてもいいんとちがうの、むしろ外でちゃったほうが大丈夫じゃないよねこの人、と周りも判断してくれることでしょう。でも残念ながら私のお腹は痛くもかゆくもならないし(ゴロゴロ言ってるのは芋けんぴの食べ過ぎで)、線路を見つめても特に、死のうそうだ死のう今死のうとも思わないので(生きちゃってるし死なないし)やっぱり明日はこの部屋を出なくちゃいけないのだなあ、と思うわけです。

でもそういう日もあるので気にしません。

ところで先週会った部活の後輩は、陽のあるうちに外に出るのが怖いと言っていました。怖いんだろうなあ、と思いました。「精神病」という診断を下すのは、通常、周囲の人間であったり、お医者さんであったりするのです。最近は本人の自己申告による「精神病」もありえるのかしらん? 「今このじぶん、普通と比べて普通じゃない」と思えるひとが増えているってことでしょうか。
だとしたら、なんか知らんが不思議な現象だわなあ。
だとしなくても、なんか不思議だわなあ。
ほっとけよ! 俺ぁ普通だよ! ってどれだけ本人が言ってみても、いやオメーだめだよそれじゃあ、ケンゼンじゃないよほっとけないよ、って言われちゃったら、そんな風にやさしくされちゃったら、ああそうですか普通じゃないですかそうなのかそうですよね、僕ってちょっと病気ですよね、と思わざるを得ないじゃないの。

2010.10.17(sun)23:45


目がしょぼしょぼする。日々パソコンとにらみ合っているせいでしょうか。職場の蛍光灯の下や、電車の吊広告などを見つめるのが特につらい。迫ってくるような感じがします。
病は気から。疲れ目かしら。ごまめです。

目が見えない、ということほど、つらいことはありません。

本が読めないということが、なによりつらい。と、目の見える私は思います。ちょっと遠くが見にくいけれど、日常生活に支障をきたさない程度に目が見えて、いまのところ「読書が趣味」と名乗れる程度に本を読み、その程度にしか本を読まない私は、本が無くなったら苦痛だ、思うことでしょう。しかし、実際のところ、見えていても大した事象をみていないのだから、いっそ見えなくなってもいいんじゃないんか、いやいっそ、見えないほうが有意義に生きられそうな気がする。見えてない分、においや音や感触は研ぎ澄まされていくだろう。見えないなりに、楽しいことはいくらでもあるのである。それは、ネットやテレビがなくても生きていける、と同等の意味で、そう言える。……いや、そうはいっても、実際大変だと思いますけれど。見えていない、ということ。何せ見えてないのですから。こけます。危ないです。階段とか危ないです。なにせこの世は「見えてる」人向けにできている。

「見えてる」ことと「見える」こと。「見えてない」という出来事と「見えない」ということは違うのだと思います。りんごの色は赤だとわかります。「赤」というは光の反射の具合によって変わるものであり、ひとつの名前であり、あなたの見ている赤と私の見ている赤は実際違う色のはずなのだけれども便宜上それを赤だというときの、あの「赤」であり、「青」や「緑」と比較たときの「赤」だ。この辺まで行ったら、そろそろ「赤」が「見えなく」なってくる。その辺まで行って帰ってきた人になら、りんごは何色なのか見えるかもしれない。

2010.10.15(fri)22:37


衝撃の。

[画像]


件の教授から「そう言えば最近読んだ本でこれが面白かった。オススメ」と教えてもらった。
オススメされてもどうしよう。

ごまめです。
とりあえず近隣の図書館さがそうか。

*

電車で座っていたら、となりに腰かけた紳士の肘が私の肩あたりにぶつかって、本を読んでいた手元がちょっとばかり揺れた。紳士は片手をあげて「失礼」と一言、私も「いいえ」と首を振った。うわあ、なんてカッコイイ紳士。よく見たら老紳士でもなくダンディーでもなくふつうの小父様だった。しかしこの小父様はただものじゃない。

路線を乗り換え、満員電車で身動きとれない状態になった。駅について、降りる人に合わせて立ち位置を変えていたのだが、後ろからドーンと力いっぱい押されてつんのめった。巻き添え食って電車から降りることになったけれど、背後にいたのは、目のキリリとした姉ちゃんだった。しっかり仕事もできそうだし、きっと優しい人なんだろう。
何事もなく再び電車は動き出した。
電車がおおきく揺れる前には「この先揺れますのでご注意ください」というアナウンスが入る。降り際には「満員電車で申し訳ありません」といった挨拶をしてくれる。優先座席付近でケータイをする人は(オーサカに比べて)少ないし、大声でしゃべくる人もそんなにいない。ホームの階段は「足元にご注意ください」とどこからともなく声がする。電車が三分遅れただけでも「真に申し訳ありません」と謝ってくれる。駅をでると、火ばさみとビニール袋をもってゴミ拾いをするおじちゃんと、大きな車体をふるわせてゆっくり動く路上清掃の黄色い車、街頭には『守ろう憲法九条』の張り紙と、右か左か民主か自民かしらないけれど、大きな声の街頭演説。
「にっぽんを、よりよい国に!」

おかあちゃん。
優しい街や。
優しい街やで、TOKYOは。

2010.10.13(wed)23:27

里帰りしておりました。金曜日に有給とっていきました。
以下、四日間のできごとまとめです。

10月7日(木)
19:30品川駅発の新幹線チケットを取る。職場をとっとと出発して、駅に到着したのが18:15。お土産買って18:30。あと三十分でも早めにしておくんだったと後悔。駅構内のささやかな本屋で、文庫本を購入。綾辻行人「人形館の館」に在学中お世話になりまくった先生が登場すると聞いて読む。登場シーンと立ち振る舞いに大変見覚えがあり笑いがとまらない。何ものだ綾辻。何ものだ教授。新幹線乗車中に読了。
23:00自宅に到着。

10月8日(金)
件のゼミ教授に会いに行く。「なんで来たの」とか言われたらどうしようかとビクビクしていたけれど、意外なほどにこやかに出迎えてくださって本当に心からホッとした。かつてないほど緊張した。東京来てからというものとにかく話がしたくてたまらなかったので嬉しかった。これは恋か。恋なのか。なんでか知らないが、センセイは私の卒論をほめてくれているらしい。うれしいけれど、どうせなら在学中にほめてほしかったですセンセイ。
授業受けて、ゼミにでて、コーヒー飲んで帰る。

10月9日(土)
演劇部の後輩たちの公演を見に行く。相変わらずくそへたくそ。こんな芝居をじぶんもしてたのかと思ったら涙がちょちょぎれる。台本は、成井豊の名作? もっと面白い台本、あったんちゃうか……。個人的な成井・ザ・ベストは『四月になれば彼女は』。どうでもいいいが。
久しくお会いしていなかった、MさんとFさんと先輩と同期のユカちゃんに会った。ユカちゃんがやつれていたのでびっくりした。本人は「しんどくない」と言ってるけれども相当仕事が大変なんだろうと思う。ユカちゃんの仕事は介護関係なのである。名前だけで大変そうだ。
あと後輩も数名やつれていたのでびっくりする。「なぜ君が?どこにその要素が?」と言う人がやつれていたので、メンタルというのは本当に分からないものだと思う。
同じく同期のサキサキは相変わらずだった。
みんながんばれ。

10月10日(日)
父・母・祖母と焼肉を食べにいく。
「ヴィレッジ・ヴァンガード」というジャングルのような書店で『植田正治の世界』(コロナ・ブックス)と『ノラや』(内田百/中央公論)を購入。どうでもいいけど私はここに住めると思った。
見ているだけで泣けてくる写真と、愛猫を呼ぶだけで泣けてくる文章って、一体なんなんだこれ。
寝る前に『谷川俊太郎詩集』(角川文庫)を開く。谷川俊太郎の詩と植田正治の写真に共通するものは、絶対的な包容力なのかもしれんなあ、と思う。全部を肯定する力。「いいやんか、そのままで」という言葉。ありえたかもしれないじぶんも、かつてそうだったじぶんも、振り返ったりしないで、「今が大事、そうでしょ?」と言ってくれる。いや、言ってくれるのじゃない。ましてや押しつけるのでもない。
「僕はそう思うんだけどさ、君はどうなの?」
そんな風に見つめられたらもう何も言えなくなる。

10月11日(月)
母が夢中で本を読んでいる。直木賞作家の朱川湊人の本。書店ポップに惹かれて購入したらしい。帯にはでかでかと白抜きで四文字、『涙腺崩壊』と書かれていた。ニコニコ動画かよ。
昼過ぎ自宅を出発。14:20発の切符をとるも、駅に着いたら13:30だった。『ノラや』を読んで過ごす。
18:00頃帰宅。帰宅、って呼ぶのも不思議な感じだけれど、帰宅。ここはここで安らぐ場所ではあるが山が無い。やはり人間には暗闇が必要だと思う。
明日のおかずを購入。卵を買うのを忘れる。


なんかもう少し面白いことあるかなと思っていたらそんなこともありませんでした。
あ、そういえばもう少しで2000人突破です。ありがとうございます。嬉しいです。
特に何もご用意しておりませんが、何かご依頼ありましたら喜んでお受けします。

2010.10.11(mon)20:49

「くろまめ」(まめっとしていてころっとしていて、いかにもかわいいのである)

「駒さん」(字に特に意味はないが、あ行のどれかを付けると故郷の山になる)

「ミーコ」(某ご長寿四コマ恋愛漫画の主人公の飼い猫)

「せたがや」(人名みたい)

「365日のおかず百科」(あるいは「太宰治週間」)


以上、『猫に名付けたい名前』一覧でした。

2010.10.06(wed)22:53

更新したはずのFF総合検索サイトの情報が更新されていなかったので改めて更新したところ客足が突然伸びた。平均から三人ぐらい伸びた。

すごいぞ検索サイト。がんばれぼくらの検索サイト。
ごまめです。

この貧相なサイトにも、いちおう、解析機能をひそませておりまして、それゆえに、どこから何時ごろに訪問があったとか、仔細に分かる仕組みとなっております。それを見ると、やはり、検索サイトに更新情報を載せたときに、ぴょんと一瞬カウンターの数字が跳ね上がって、そのあとすぐに低下傾向にあります。それでも、立ち上げ当初のころから比べたら、常時じぶん以外の誰かが訪問してくださっていることが分かる数字になっているので、しかもそのうち何人かはリピーターで、ああこれって実はすごいことなんじゃないのか、と思ってしまいます。
思ってしましま。そんなしましま。
もっとすごいひと一杯いるけどね。

朝の早くから来てくださっている方も、夜中の遅くに見てくださっている方も、ありがとうございます。

でも一体なにがよくて何度も来てくださうぼぁー。

2010.10.06(wed)00:41

誰かに伝えたいこと、そうして喋ったことは、ことごとく「嘘」なのである。

ほんとですよ。
嘘しかしゃべれないし、嘘じゃないと伝わらない。伝えるためには嘘が必要なのです。だってそうですよ。「自分のきもち」を正直に表現できている人なんて、この世の中に一人だっているのでしょうか。
だから、「それが嘘だと自覚している。でも嘘をしゃべり続けるしかない人」を、私は愛します。アイするだなんて、うひゃあ、いま初めて使いました。数十年生きてきて。でもたぶん、それが一番近い言葉だと信じたいので、使います。
愛する。愛してる。いい言葉じゃないか。
「自分は嘘をついてない」「これが正直なじぶんなのです」と称するひと、いわゆる確固たるじぶんを持った人。そういう人は見ていると、分かりやすくて、まっすぐなところがあります。そのまっすぐさが、ときに羨ましくなったり、多分私だってその意味でまっすぐな奴のはずなんだろうけれど、なんでかしら、同時にその「まっすぐさ」を嫌悪してしまうのです。嘘を嘘だと気付かず本当の言葉をしゃべったつもりになっている、自分に対して他人に対して「まっすぐ」な人たち。
みんな本当に自覚してないん?
気付かないふりをしているだけで、実は私以外のひとみんな、本当のことを知ってるんじゃないんだろうか。

2010.10.02(sat)19:18

起きたら三時だった。

昼の。

ごまめです。

昨日夜中の一時に寝て、今朝九時頃に目が覚めて、郵便物を受け取ったりなんやりして、服着替えて、眠いわ―と思ってもう一度蒲団に入ったらこれだよ!

2010.10.02(sat)16:36

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