カルマの坂-12


「あ、あなたは!」
 地主は、自分の行く手を遮ったものの顔を確認して、驚愕の表情を浮かべた。彼は静かに微笑んで、地主の太った手をひねりあげる。地主の顔が歪む。
「な、何をなさる! てっ手を放してください! 放せ!」
 彼は無言で、更に強くひねる。地主は悲鳴をあげた。
「地主様。わたしは今夜、町に巣食う悪の権化を倒しに参ったのです」
「な……んだと?」
「お約束したでしょう、この町の治安を回復すると」
「おお!」
 地主はにやりと顔を歪ませた。しかしすぐに、怒りを思い出し、かおを赤くする。
「何をしておられる、ならばなぜあの少年を捕まえぬのですかな!」
 彼は、地主の腕を勢いよく放した。地主は尻餅をついて、すこし地響きが起きる。
「な、なにをする!」
「うるさいですよ地主様。まだお気づきにならないか」
「なに?!」
「わたしはあなたを成敗しに参ったのです」
「なんだと! 王国直属の騎士ともあろうお方が、なんたることだ! 愚民どもに寝返ったとは!」
「いいえ、わたしは寝返ってなどおりません。最初からそのつもりでしたからね」
「なっ……」
 彼は地主を無理に引っ張り起こす。
「この町の治安を悪くしているのは他の誰でもない、あなたでしょう?」
「な……なにを言う。わしはただ、わしの金を使い、わしのやりたいことをやっただけだ! 他の連中が落ちぶれても、わしのせいではないわ! ついてこられぬ連中が悪いのだ!」
 彼はそこで少し考え、地主の襟首を突きはなした。
「たしかに――金のある者が大きな家を持ち、贅沢をして、だがそれでいて貧しい者になんの力も貸さないのは、金持ちのも生活があるのですから、批判することはできません」
 地主はうつ伏せに寝転がったまま、勝ち誇ったように叫んだ。
「ほれ見ろ!」
「ですが、あなたがた金持ちがぶくぶくふとって肝硬変になる間に、貧しい民はひもじくて死んだり、病気で死んだりするのです。ですが、このときもあなた方は悪くありません。なぜなら貧乏な人たちは、金持ちに殺されたのではなく、言ってみれば『貧しさ』だとか、『社会』に殺されたのですから」
 地主には、彼の言うことがあまり理解できなくなってきた。ただ、自分はどうやら悪くないらしい。地主はいい気味だった。
 彼は更に続ける。それはまるで、地主に向かって言うことばではなく、自分や、どこか遠くにいる誰かに教えるようだった。
「ですが、忘れてはいけません。法的にたとえ無罪であったとしても――それはれっきとした『見殺し』なのです。科せられるべき罰則はなくとも、それはれっきとした『悪』であるはずです。そういった行為には、いつか、天罰がくだります」
 地主にはまだわからない。
「それがなんだというのだ! わたしには関係ない!」
「関係はありますよ。おおいにあります。――あなたは、罰せられなくてはならない」
「な?!」
「ああそうだ、この金はお返しします」
 彼は金貨の入った袋を投げつけた。裏通りで受け取った賄賂だ。中身が廊下に散らばって、地主ははいつくばってそれをかき集める。
「これは……どういうつもりかね!」
「こういうつもりですよ」
 彼は剣を抜いた。
 地主はやっと、身の危険を察知した。
「あ、あ、あ、あなたはまさか、このわしを殺すおつもりなのか」
「おや、今頃気付きましたか」
「そんなことをすれば犯罪だぞ! 騎士としての資格を剥奪されるぞ! 刑務所にぶちこまれるぞ!」
「そうはなりませんよ。町の治安を正す――これは、国王直々の任務です。それに、誰にも知られません」
 ゆっくりと、地主との距離を狭めてゆく。一歩。また一歩――彼の顔から、笑みは絶えない。
「誰か! 誰か居らぬか!」
「いませんよ。あなたを助けてくれるものは、どこにも」
 優しい微笑みを浮かべた死神は、言い放った。
「それに、『手荒な真似をしてもよい』といったのは、あなたでしょう?」
 地主の顔が大きく歪んだ。
「たすけ……」
 ――断末魔の叫びは、聞こえなかった。

 彼は剣を鞘に収めた。明日の朝にでもなれば、目を覚ました門番が、変わり果てた地主を発見するだろう。そのころには、自分も少年も、この屋敷からは消えている。自分は既に、王からの任務以上のことをやってしまっているが、かまわない。どのみち、この町はこうでもしなければ変わらない。
 そこで彼は考える。こうしたことで、何が変わるのだろう、と。
 そして、すぐに首をふる。
 足元のソレが完全に息を止めたのを確認して、彼は静かにその場を立ち去った。



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