カルマの坂-2

 俺とラッシュは、パン屋の斜め前の建物の影に隠れていた。目的は食糧確保。グレイト。
 俺のようなガキが、この世界で何とかして生き延びるためには、手段を選ぶいとまはない。卑怯だろうがなんだろうが、とにかく食っていけりゃいいのだ。
 店のオヤジが入り口から顔だけ出して、注意深く辺りを見回した。そして、どこにも『敵』が見当たらないことを確認すると、抱えていたバスケットをどさりとおろした。
 バスケットの中には、焼きたてのパンがたくさん詰まっているはずだ。
 だけど、俺もラッシュも動かない。
「あれは、罠かな?」
「だろうな」
「行く?」
 俺は眉毛をこれでもかってくらいひん曲げて、ラッシュを見上げた。ラッシュは俺なんて見もしないで、呟いた。
「待ちますか」
 オヤジが店の中に引き返してから数秒後、一人の男がパン屋のバスケットに近づいた。男はぼろっちい格好をしていて(俺たちだって大概ぼろっちい格好だから、人のことは悪くいえないけど)きょろきょろ周りを見回している。
「……あのぼろっちい服の男、気付いてないな」
「だね」
 助けに行く? とでも言いたげな目で、ラッシュが俺を見た。俺は無視した。
「みろよ」
 男はすばやくバスケットに手を伸ばし、その中のパンを掴もうとして――
 そして、そこで何かに気がついて、手を引っ込めた。  だけど、それは遅すぎた。
 逃げ出そうとした男の行く手を、警官がふさいだ。男はとっさに反対側に逃げ出そうとしたけれど、結果はさっきと同じだった。
 逃げ場所を失った男はあきらめて、命だけでも助かろうと両手を上げる。警官は男の両手に手際よく縄をうって、連行していった。
 その後すぐ、もう一人警官がやってきた。店のオヤジは、警官に袋(中身は金だ。いわゆるワイロ)を渡して、ほくほくした顔でバスケットを回収した。持ってきたときとはちがって、えらく軽そうなもち方だった。
 ――バスケットの中には、ハナからなにも入っていやしなかったのだ。
 男は一瞬警官に抵抗して、だけどすぐにうなだれて、半分ひっぱられるようにして坂道を登っていった。
 俺とラッシュは、黙ってその後姿を見送った。

 腐ったりんごは捨てるしかない。
 腐ったりんごをを食ったねずみも、ただじゃあすまない。
 この世界では、ねずみだって腐ってしまう。

「イカレタ人間ばかりだよな、この町は」
 ワイロを受け取った警官がパン屋と話をしているのを眺めながら、俺は口を開いた。どうせこの町の情勢について話しているんだ。話しあうくらいなら、なにかためになることをやってくれりゃいいのに。
 俺の独り言に、ラッシュがご丁寧にも返事を返す。
「それって、さっきの、あの男のことかい?」
「――いや、それもあるけど」
「じゃあ、何さ」
 念のために言っておくけど、無法地帯のこの町でも、泥棒は一応犯罪だ。犯罪はいけないことで、警官に捕まればおしおきが待っている。幼稚園児でも知っている。
 だが。
「おや?」
「なんだよ」
「あれ」
 いつの間にか、パン屋の前には馬車がとまっていた。
 派手な装飾がされている。逆立ちしても趣味がいいとは言えなかったけれど、見るからに上等そうだ。あの馬車、売りに出せばいくらくらいになるだろう。一般的な四人家族の住む家一軒くらいなら軽く建つんじゃないだろうか。
 馬車の中から、太ったおっさんが出てきた。馬車と同じくらい上等そうで、馬車よりもド派手で悪趣味なスーツは、前のボタンがはちきれそうだ。歩くたびにズボンの縫い目が悲鳴を上げている。その上、もともと黒い髪の毛を金に染めていて、それがあまりに似合っていないのが悲しい。
 金髪の豚が服を着て町を闊歩している(ような)姿を見つけると、一度店に戻ったパン屋のおやじが慌てて店から飛び出した。ついでに、まだ現場にタムロしていた警官もあわてて敬礼した。
 俺はげえっと顔をしかめた。ラッシュはなにも考えていなさそうな(多分本当になにも考えていないのだろう)能天気な顔で、
「あれって、ここの町のお金にがめつい大食らいで有名なこの町の地主サマだよね」
 地主は、召使を両脇に従えて、パン屋のおやじになにやら文句を言っているようだった。
 何をやっているんだ。こんなところにフロウシャを入れては駄目なのだ、土地のイメージが下がるだろう! 警官は何をしておるのだ!町の治安維持がお前達の仕事だろう! お前達の生活を支えてやっているのはわたしなのだぞ、もっと感謝してみてはどうだ! ――云々。
 そして、ひとしきり怒鳴り終えると、車へと引き返す。引き返す前に、パン屋と警官の目の前で、パンをひとつ、さも当たり前のように掴んだ。そのままそれを口の中に放り込んで、あまり美味しくなさそうな顔を見せた。
 その後、挨拶もせず、なんの批判も受けず、地主は去っていった。
 パン屋はひたすら頭を下げて、警官は、じっと敬礼を続けていた。

 金さえあれば、腐ったりんごは買い換えられる。
 他のりんごが腐っていようと、ねずみが腹をこわそうと。金と力のあるヤツだけは、腐っていない物を喰うことができる。この町では、腐っていないものを探すのは、星の数を数えるより困難なのだ。

「さあて、それじゃ僕らも行きますか」
 パン屋のオヤジが、店の中に引っ込んでいった。その後姿を見送って、ラッシュがコキコキ肩をならした。俺は無言で立ち上がって、隠れていた路地裏から飛び出した。
 目標は、いつも店の裏においてある、出荷用のパンの木箱。
 あの男には申し訳ないが、これで俺たちは本物の獲物を手に入れることができる。
 まったく、この町はイカれた奴らばっかりだ。



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