カルマの坂-7


 俺はあの場所までやってきた。あいつがいた場所、そこまで来て、俺は立ち止まった。
 馬車が止まっている。あの、金持ちで嫌味で悪趣味な地主のものだった。馬車に乗っているのは地主のパシリのようだった。地主から命令されてきたのだろう。そいつは、にやにやとあまり品のよくない笑い方――遠慮せずに言わせてもらうと、やらしい笑みを浮かべて、何かを物色するような目で眺めている。
 俺は嫌な予感がした。
 そして、そういうときの勘というものは、しばしば的中する。――いやなことに。
「よし、こいつを買おう。いくらだね?」
 ひっぱってこられたのは、あの少女だった。俯いて、じっと立っているいる。
 でも、俺には見えた。少女は目に涙を浮かべていた。だけど、俺の姿を見つけると、すこし顔を上げて、うっすらと微笑んだ。それから、縛られた手の鎖をちゃりんと鳴らした。手を振ったのだと気付くまで、少し時間がかかった。
 俺はなす術もなく、立ち尽くした。少女は抵抗することもなく、馬車に乗せられた。――馬車が走り出す。
 俺ははっとして、大急ぎで駆けてって、馬車の前に立ちふさがった。本格的にスピードをだす前だった馬車はすぐに止まった。突然の衝撃に、さっきの男がなにごとかと顔を出した。馬車の窓によじ登り、
「この野郎!」
 俺は拳を振り上げた。たるんだ顔面に一発かましてやるつもりだった。――ぼこぼこにしてやるつもりだった。
 いつも、俺の大切なものは全部奪われてしまう。
 許せない――許せない!
 だがその前に、背中から羽交い絞めにされてしまう。野次馬が集まってくる。騒ぎに気付いて、護衛の警官もやってくる。
「こンの、浮浪者めが!」
 警官に殴られて、俺は地面に倒れた。その間に、馬車がはしりだした。――馬車の荷台に、ちらりと少女の姿が見えた。俺は目いっぱい暴れてやった。警官はもう一発俺を殴った。
「静かにせんか!」
「なんでだよ! なんで、あいつを連れてくんだ! あいつは……なんであいつなんだよ!」
 警官は俺の事情をさっしたのか、振り上げた手を下ろし、俺をしげしげと眺めた。
「あの女を助ける方法を、教えてやろうか?」
 俺は跳ね起きた。
「金さ。さっきのあの子供はなあ、地主様の家に買われていったのさ」
 地主。また地主だ。警官は続ける。
「ここの地主に勝るほどの金と力を手に入れれば、おまえにもモノにできるだろうよ。――ま、ムリだろうがね」
 警官はそういって、ふふんと笑った。

 この町に、神はいない。
 俺たちはすべてのことを、仕方ないと諦めるしか術がない。
 ――本当に?

 俺は警官の顔めがけて、拳を振り上げた。警官はさけることもできないで、あっさりその場にノックアウト。観衆がざわめく。
 俺はその隙に逃げようとしたけれど、周りの大人にすぐつかまってしまう。こんなときだけすぐに他の警官がやってくるんだ。縄を打とうとするそいつらに俺は目一杯抵抗するが、不可抗力だった。
「なんだなんだ」
「このガキが、地主様の馬車を襲ったんだってよ」
「あっ、このまえうちの商品盗んでいきやがったやつだ」
「おーい、いつもの俊足はどうしたー」
「警官さん、さっさと連れてってよ」
「こんなやつは、世のためにも始末するべきさ」
 俺はなにもできないのだろうか。力のないものは諦めるしかないのだろうか。神は弱い立場のものに、なにも与えてはくれないのか。
 俺は、なにもできないのか。
 指をくわえて、世間に流されつづけるしか、術はないのか。
「さっさと歩け!」
 縄を打たれた俺は無理やり立たされて、背中を押された。「おまえも、他の町に売りとばしてやる!」
 と、そのときだった。
「そんなところで、何をしてるんだい?」



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