カルマの坂-8


 ラッシュと俺は、背中に伸びる長い影を引きずるようにして、隠れ家に続く坂道を登っていた。時々すれ違う人間は、ラッシュの姿と俺の格好を見比べて、驚いたように目を見開いて、それから自分もお咎めを受けないうちにそそくさと去ってゆく。この町にもそろそろ夜が迫っている。
 二人とも無言だった。先に口を開いたのはラッシュだった。
「助けてあげたのに、お礼の言葉の一つも無しかい?」
「……」
「あの女の子とは、友達だったのかい」
「……」
「あの子のことを助けようとしたんだろう? だけど――」
「うるさいよ」
 ラッシュは言いかけた言葉を引っ込めた。俺は何も言わない。
 ラッシュの着ている服は、警官と似たような服だった。ただし、街で意味もなくふらついているような連中のものとは違う。本格的に上等そうで、本格的な格闘技やら剣術やらも習っていそうで、その気を出せば、町のごろつき十人を相手にしても楽々勝ってしまうのだろう。その気を出さなくとも、俺みたいなガキなんか一ひねりだ。
 ――やっぱりこいつは、裏切り者だった。
 ラッシュは諦めたように、ちょっと残念なように、俯いた。
「僕には何も言えないけれど……」
「そうだよ。なんにも言わなくていいんだよ」
 俺の中で何かが切れた。俺がこれからまずい事を言おうとしているのは分かっていた。俺はもちろんのこと、多分、ラッシュにも。
「なんにも言うな。余計なお世話だ。都合のいいときだけ保護者面して、それなのに、都合が悪くなったらはぐらかしてすぐ逃げる。大人なんていつもそうさ。肝心なときは助けてくれない」
 ラッシュは黙って聞いている。
 それが余計に腹が立って、俺は止まらず喋り続ける。
「俺、知ってるんだぜ。俺、お前が地主の家から出てくるのを見たんだよ。俺たちを捕まえようとしてるんだろ。仲間のフリして近づいて、最後に俺たちを全員始末するって寸法だ。あいにくだが、俺はもうその手にはひっかからねえよ」なぜか涙がでてきた。「大人なんて信じない。どうせお前も金の亡者だ。大人なんて、みんなそうだ!」
「金の亡者、か」
「そうだよ!」
 今度こそ、俺はとまらなかった。涙と鼻水といろんな思いで、顔はもうぐちゃぐちゃだった。
「あいつだって金があれば助けてやれたんだ! 俺にもっと力があれば……! 力があれば!」
 そう、力があれば。
 あいつ――あの少女には人としての権利を与えられず。
 俺には、俺達のような子供には、彼女を助けられるような力はない。
 俺は神様なんか信じちゃいない。
 祈りもしない。あがめたてまつりもしない。守ってもらおうなんざ思わない。
 だが、もしもこの世に、本当に神様とやらがいるんなら――俺はそいつにこう問う。
「どうして神は、僕らのことを愛してはくれないのか」と。
 ラッシュはしばし黙った。

「ぼくのでよければ、力、貸そうか」

 ――――はあ?
「……なんだよそれ」
 涙と鼻水でぐしょぐしょになった顔を上げて、思わず俺は突っ込みを入れてしまう。
「……だから」
 男はかがんだ。俺と同じ高さにヤツの目がやって来て、俺は顔を背ける。
「ぼくが君に、協力しようっていってるのさ」
「おちょくってんのか?」
「――例えば、地主を倒すだけの力量があれば、とても便利だと思うけどね?」
「……」
 力があれば、アイツを助け出すことが出来る。
 力の中でももっとも簡単で、手っ取り早い方法があるのだ。
 だがそれがどういうことを意味するのか、このたるんだ男は知っているのか?
 知っているに違いない、と思った。俺なんかより、嫌になるくらい知っている。なぜなら、こいつの、こいつらの仕事は、敵対する相手をありとあらゆる力を持って押さえつけることなのだから。
 俺はラッシュの顔を見た。いつものゆるい顔に戻っているけど、目だけはいやに輝いている。本気の目だ。
 そう。まずいことにこいつ――本気なのだ。
 いや、何がまずいって、そんな目をされちゃあ、俺はこう聞くっきゃないから。
「……どうすりゃいいんだよ」
 俺が何を考えているか知っているのか知らないのか、ラッシュはいとも簡単に、あっさり答えた。
「剣が一本あればそれで上等さ」
 それだけ聞くと、俺はもう駆け出していた。俺もすでに、ヤル気だったのだ。



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