カルマの坂-9


 ――大人なんかに追いつかれてたまるものか。

 追いつかれれば、悪ければ殺される。良くても孤児院いきだ。そんなことは俺自身が許さない。
 重たい剣をひきずって、俺は隠れ家に続く坂道を、必死で登っていた。今までその一心で登ってきた坂道だった。誰かのために、パンを持って逃げる以上にしんどいことをする日が来るだなんて、思ってもいなかった。
 なんで俺、こんなことやってるんだろう。
 俺がやろうとしていることは、パンを盗むより罪は大きい。絶対に。孤児院どころか、刑務所行きだ。もっと悪けりゃ絞首台が待っている。
 なんで、アイツのために。アイツなんかのために。
 俺は剣を担ぎなおした。店のオヤジは何とかまいたけど、この坂からは逃げることはできない。
 ――だから、なんで俺、こんなことやってるんだ。
 風みたいに駆け上がるいつもの俺の姿が、剣を引きずり坂を登る俺の横を通り過ぎる。そいつは俺に聞いてくる。おまえ、何でそんなことやってるんだ? 小娘一人、別に助けたところでどうなるわけでもないぞ。
 そのとおり。
 不法侵入働いて、この剣で誰かを傷つけて、もしかしたら殺して、無理やりあいつを助け出して、そんなことをして捕まって殺されるくらいなら、今までどおり、盗みを働いていたほうが、ずっといいんじゃないのか?
 そう。そのとおり。
 でも――俺はパンを持って逃げる俺に向かって言う。  おまえ、それで後悔しないのか?
 剣を握る俺の手に、願い事をかなえる力があるとしたら、おれは何を手に入れるだろう。
 金? 力? それとも?
 ――わからないな。

 『カルマ』という言葉がある。どっか遠い国の宗教の言葉らしい。意味は『業』。業って言葉の意味はあまり詳しく知らない。ただ、カルマとは、善悪だとか、そういったものを指すらしい。
 他には、前世(こんなもんが本当にそんざいするんだろうか。謎だ。『前世』を最初に作ったやつも、それを信じる連中も)の行いの報いが、カルマ。
 坂道を登りながら、俺はずっと、『カルマ』について考えていた。
 神様とやらは、俺達の行動は全てお見通しなんだそうだ。だからそれは運命とか、天命とか、宿命といった言葉でひとまとめにされる。(自分の意志で行動しているつもりなのに、神様みたいな不確かな存在に仕切られているなんて、気味が悪い話だ。)
 でも、俺は、きっと、俺という人生のなかに、こうなることはあらかじめ予定されていたんだ、とか思ったりしている。
 ああ、おそらく、こういうのが『運命』なんだろう。
 ここは、運命の通り道。行いの報いを受ける坂。
 カルマの、坂――か。
 なんだか少しの間に、俺には宗教家精神が宿ってしまったみたいだ。変な感じだ。
 もっとも、神を信じるには、俺は騙されすぎているけれど。

 宿命ならば、俺は喜んでその宿命を受け入れよう。たとえ、その報いがいかにおおきなものだったとしても、来世でそれを受け入れよう。
 俺には信ずる神はいない。
 でも。

 ――パンドラの箱に、最後まで残るもの。それは、

 決して開けてはならない箱を、俺は今、開けようとしている。
 俺は、信じようと思う。
 その箱の片隅にひとつだけ残るハズの、ちっぽけな存在を。

 剣を引きずって帰ってきた俺をしばし見つめてから、ラッシュは一言、
「後悔しないね」
 俺は言った。「今更何を後悔するんだよ」
 いや、後悔すべき事はたくさんある。めちゃくちゃある。山ほどある。でも、後悔してどうなるわけでもないし、それに。
「……何を後悔して良いのか、わからねえ」
 何が間違っていたなんか、バカでチビな俺にはわからない。
 ラッシュは笑った。いつもの、こいつ何考えてるんだ的、のほほんとした、それでいてなぜか寂しそうな笑顔だ。ラッシュは俺が苦労して持って帰ってきた剣を片手で軽々持ち上げて(ならなんで手伝ってくれなかったんだこいつ)
「行こう」
 ――立ち上がる。
 そして、俺はここで、根本的な問題を思い出す。
「行くって」俺は空っぽになった右手を見つめる。「俺の剣は?」
 ラッシュは、さも当然そうに答えた。
「なんのこと?」
 はあ?!
「お前それ、どういうことだよ!」
「何言ってるのさ。だから言ったろ、『力を貸す』って」
「な」
「あれ、違うのかい? 剣なんて、一朝一夕で覚えられるものじゃないんだよ。それに」
 それに? 俺はものすごい形相でラッシュをにらみつける。ラッシュはとぼけて目をそらす。このやろ、とパンチを繰り出そうとするが、俺を見下ろしたラッシュの目が真剣なものだったので、俺は少し驚いて、振り上げたこぶしを下ろす。
 そして、俺はそこで気がつく。
 ――こんにゃろ、やっぱり癪に触るやつだ。でも、
「……わかったよ」
 あのとき、ラッシュが何を言いたかったのかは本人に聞かないとわからないけれど、多分ラッシュは、俺に剣を持たせたくなかったんだろう、と俺は思う。
 剣を持つ、ということは、それなりに責任が伴うものだから。
 俺はこいつに勝てそうに無い。
 ラッシュは俺に、にっこりと満面の笑みをよこす。相手に有無を言わせず納得させるオーラ百二十%配合。半分だって優しさなんかじゃ出来てない。
 そして――俺にだって、優しさなんぞを持てるほどのゆとりはないんだ。
 一度登り始めたのなら、登り続けなきゃいけない。――立ち止まっていては、いつまでたっても頂上には辿り着かないのだ。

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