法事でおもむいたばあちゃん宅で真赤な西瓜を観た瞬間、夢から覚めた心地になったのであります。
「この夏は、まだ一度も西瓜を食べていなかった!」ということに、気付いてしまったのであります。

と、いうわけで、東京にもどってからも西瓜を食べています。

うちの母は四季折々の料理や催しには敏感な性質で、こどもの側が充分育ち切って時間もできた最近は特に、クリスマスやひな祭りに力を注いでいます。とうぜん、夏には西瓜を食べます。冬はロールキャベツを作りたがります(うちではロールキャベツは冬の食べ物なのです。)

私もそういう季節の変化を感じることは好きですし、夏には西瓜が美味しいです。でも、そのような実感は、いまとなってはもう、意識していなければなくなってしまうものなのですね。私は最初、今年の夏に西瓜を食べようと思いいたらなかったのは、山や木々が近くにないからだと思いました。実家はとなりに山があり、通っていた大学も木々が多い場所でした。夏の雨には緑がにおい、秋はぎんなんが足元でにおいました。でも、そういうのって、東京だろうが沖縄だろうが信州の山奥だろうがどこでだろうが、感じる人は感じるし、感じない人は感じないものなのでしょう。

せっかくなので、日本の四季折々の過ごし方でも書いた本でも買っておいておこうか。とおもう今日この頃でした。
…そういうのって、昔の本を読んでいても身についていくものでしょうけれどねえ。どうも身につかなかったみたいです。あーあ。

2011.08.23(tue)02:30

さて。

私はこれから、「『コクリコ坂から』はノスタルジー映画ではない」ということを、お話したいのだと思います。
なんでか、っていうと、私はこの映画をみて、微塵も「なつかしさ」を感じないからです。

あたりまえですね。1960年なんて、まだ受精卵ですらありませんから(深夜のテンション)

「ノスタルジー」とはもともと、「戦場の兵士が、故郷に帰ることができないことを苦しく思う心境」を指します。
「ノスタルジー」は精神病の名前です。これが映画や小説になると、「あのころに帰りたい」という言葉で言い表されます。代表格が『Always 三丁目の夕日』の世界ですね。実はちゃんと見たことはありませんが、そんな気がするので見ません。『クレヨンしんちゃん モーレツオトナ帝国の逆襲』の劇中で何度も繰り返された「むかしはぁぁぁぁ〜〜〜よかったぁぁぁぁ〜〜〜」のメッセージが響き渡ってるんだろうなあ、と思うので見ません(そうじゃなかったら、ごめんなさいね。)

たしかに、『コクリコ坂から』には、「昔の風景」が描かれています。それらは、知っている人が見たならば「なつかしい」風景にも見えたのかもしれません。木造の低い屋根の街並み、新橋駅周辺の様子、などなど、作中にはたくさんの風景が登場します。立ち並ぶ煙突から吐き出される黒煙、その中をすすむ船、なんてのも、けっして楽しい思い出ではないにせよ、「なつかしい風景」にカウントできるかもしれません。

でも、「なつかし」がることができるのは、そこだけです。『コクリコ〜』で中核をなしている出来事は、「カルチェラタン取り壊し反対」「海と俊の恋模様」「父(とその時代)の理解」の、だいたい三つ。この、どれをとっても、『コクリコ〜』では美しいファンタジー世界が描かれています。
色々なところで「『コクリコ』は非ファンタジー」と囁かれていますが、ちがいますよ、ばりばりファンタジーなのですよ『コクリコ』は。

良く知りませんが、「がくせいうんどう」て、死人が出たくらいの騒ぎだったのですよね?(なんか、すいません。私はこんなに近い歴史のことすら良く知らないのです)ジュラルミンの盾で頭を殴られて昏倒したり、窓からコンクリの塊をおとしたり、とにかく、暴力的なこともやっていた。と、いうか、暴力的だった。ヘルメットかぶってタオル巻いて鉄パイプふりまわすんですよね? そんな気概は良くも悪くもありませんよ、今の大学生には。
主たる「運動家」は大学生だったにせよ、当時の高校生はおおいに感化されたでしょう。新聞擦ったり屋根から飛んだりでは、済まなかったのではないか。理事長の車に爆竹仕込むくらいのことはやったのではないか。
つまりね、実際学生運動に参加して、窓からコンクリ投げていたような人たちは、『コクリコ坂から』を観た時の感想は、「なつかしいなあ」ではなくて、「これだよー、おれたちの理想はよー」ではないか。

『コクリコ坂から』に登場する1960年代の高校生たちは、あまりにも穏便すぎるのです。
この「やさしい」高校生たちは、村上春樹の小説なんかを熱心に読んで、「やれやれ」が口癖になってるんじゃないかな。海ちゃんの「家事を丁寧に行う」ところなんかも、村上春樹さんの小説の主人公「ぼく」と共通します。カルチェラタンの取り壊しに立ち向かうときの手段として選択されるのが「大掃除」というのも、穏便な暴力ですよね。しかも家庭的で女性的。女性が「ちょっと、掃除するからそこ、どいて」と言うとき、ふつう、男性は全力で抵抗しませんか。「ここは俺の城だ!オンナに何が分かるんだー!」って。そういえば『ハウル』でも、ソフィーが大掃除してましたね。玩具箱ひっくり返したみたいなハウルの城。それに怒ってショックをうけて、ハウルはドロドロの緑色になってしまうんですよね。よほど嫌だったんでしょうね、掃除。知らんけど。ハウルもカルチェラタンも、女の子の力で、そこにかけられていた魔法があっけなくひっぺがされてしまう。

茶色い手すりはカラフルに。
剥がれた壁は塗り直せ。
哲学部のボックスには新しいカーテンを。

東京に出向き、直訴を試みるときも、そうです。かなり長い間廊下でまちぼうけを食わされても、逃げ出さず、キチンと背筋を伸ばして座って待ち、結果的に「女の子」が実力者に意思を伝えてカルチェラタン取り壊しを回避する。政治的にモノを言おうとした「男の子」たちは、穏便に家庭的にことばを伝えてしまった「女の子」にポカーンとしてしまう。
ありえません。今ですらあり得てない。1960年代は高度経済成長の入り口、戦後の復興が軌道に乗りはじめ、「恋愛結婚」が生まれ始めた時期。女性の幸せは結婚して子どもを産んで三種の神器を手に入れること。「男女平等」の入り口でもありますが、それは「女性は女性として」ではなくて「女性も男性と同じように」生きることが目標とされていました。女性も男性みたいなものいいを求められます。
T島Y子さんとかね。声の大きいフェミニストって、典型ですよね。きらいじゃないけどね。

大声で話すと気持ちが良い。でも、ことばは近くの人にも遠くの人にも届かない。自分の気持ちがいいだけです。遠くまで伝わるのは、新聞や、旗。新聞は高校生たちの心を動かし、海ちゃんが毎朝あげる旗は俊くんに届き、死んだお父さんも呼び寄せる。海ちゃん達が知ろうとしたからです。「何があったの?」とまっすぐに尋ねた返答が、お父さんの友達からかえってくる。

ジブリの女の子は、常々空を飛んできました。多分、これからの「ジブリの女の子」は空を飛ばず、走るか歩くかするのです。私が『ゲド戦記』を「良いとは思わないけど、好き」な作品としているのも、この「飛ばないが歩く」にありました。アレンもテルーも、空は飛ばず、歩くか走るかするんです。それが「いいなあ」と思ったのですよね。まあ、それはともかく。
海ちゃんは自分の代わりに旗をあげました。メッセージは「航海の安全を祈る」…と、もうひとつ、お父さんにむけて「ワタシハココニイル」。それにこたえて、俊くんは「キミガソコニイテ、ヨカッタ、ヨカッタ」と返します(この二つのカタカナ語は、カート・ヴォネガットのSF小説『タイタンの妖女』からの引用です。いい言葉。)

この映画の全編にあふれる気持ちよさは、登場人物が自分のことを大声で喋らない気持ちよさなのだと思います。
ドラマとか、やりますよね。遠くの相手に向かって、「大好きだよー!」って。
そんな大声でなくても大丈夫なのにね。

海ちゃんや俊くんが発するメッセージは、「アタシのことを聞いてほしい」「アタシの苦しみを理解してほしい」ではなく、「あなたは何をかんがえてるの?」だと思います。

カルチェラタン=「古き良きモノ」の取り壊しにたいして、なぜ高校生たちが熱心に反対をするのか、理由は明確に記されません。
「新しいものになった方が、良いとは思わないか」
そのとおり。多分それが、資本主義とかいわれるものの命令だったのです。確かに、いつまでも、ガコガコのダイヤルでチャンネル回すようなテレビを使うわけにもいかなくなってくる。それでも、「いいじゃないの、まだ使えるんだし」と「これが、好きなのよね」と言い続けられるのは、ひとつの理想の世界だし、理念なのだと思います。

と、いうわけで、『コクリコ坂から』はファンタジーな非ノスタルジー映画ですよ、のお話でした。ぜひご覧ください。(でも劇場でなくてもいいかもしれない。どちらかというと、大画面よりテレビ向けの作品だと思いました。)

2011.08.19(fri)02:30

「となりのトトロは、ヒットするはずのない映画だった」

劇場公開当初の観客動員数は80万人。売上は『風の谷のナウシカ』を大きく下回りました。でも、いま、私と同い年くらいで、トトロの存在をしらない、すこしも観たことが無いという人、いないのではないでしょうか。
当時はトトロみたいなアニメは、売れる映画ではなかった、といいます(宮崎駿監督も、そう言ってます。)
1960年代、宮崎駿監督にも影響を与えた『白蛇伝』が日本で作られます。60年代はアニメ映画の黎明期。70年代になり、『宇宙戦艦ヤマト』などのSFアニメ作品が全盛になります。80年代頭に『機動戦士ガンダム』のファーストが公開。『ナウシカ』『ラピュタ』や『マクロス』も、80年代前半。80年代後半には、『アンパンマン』『ドラえもん』の映画が公開されます。90年代からは、地上波連載アニメの劇場版が数多く登場。『ポケモン』『コナン』それに『エヴァ』がこの時期です。

『となりのトトロ』が、なぜヒットするはずがなかったのか。この顔触れをみると、すこしだけ、分かるような気がします。調べて気付いたんですが、80年代アニメ映画にはSF作品がめちゃくちゃ多い。当時は石油危機やら何やらで、景気は良いけど不安定、世の中にモノが溢れて夜の街はキラキラしているけれど、古い価値観が揺らぎ、人々は孤独になり、不安になっていった時代ともいえます。「80年代」とは「日本の『近代』の終焉」と位置付ける人もいるくらい、激動の時代でした(生まれてないので、なんともいえないですが。)東京ディズニーランド(=「内部からは外が見えない」社会構造の露呈)やウォークマン(=カプセル人間登場。興味ある物事以外に全く関心を示さない若者像)の登場もこの時期です。

1980年代終盤、バブル景気に沸きまくる時代まっただ中に公開された『となりのトトロ』(1988年公開)は、1950年代の日本を描いた作品。テレビも洗濯機も無い、大量消費社会が始まる以前の日本が舞台です。これは、たとえがどうかと思いますが、「ザンギリ頭の人間が時代劇を観る」ようなものではないでしょうか。つまり、「なんでわざわざ、こんなの見せるのよ、バカ!」という具合。ちなみにあまり知られてませんが、同時公開は『火垂るの墓』だったそう。どちらも舞台としているのは「当時を知るものがまだ生きている時代」なのです。
1945年の「敗戦」と、それに続く1960年代からの「高度経済成長」は、トラウマみたいな出来事だったのではないでしょうか。たとえば「昭和の戦争映画」や「昭和の戦争文学」は、ほぼ、イコール「反戦」と結ばれていました(たとえば火野葦平『土と兵隊』は文庫本の解説欄で「反戦じゃないけど文学的にはいいよね」と評されていますが、この解説は昭和30年代に書かれたものです。)そうしないと、戦争という出来事を語ることができなかった。 80年代のSF映画全盛というのも、「高度経済成長」を経てめでたく(いやみです)大量生産・大量消費の時代を日本が、その成果を否が応でも納得する為の装置だったのでは、と思います。SFといえば、ディストピア的な世界観が多いですし、『ナウシカ』も文明社会崩壊後の世界が舞台だし。

...と思っていま調べてたら、「フレッシュプリキュア!」て、ディストピアなのか。深いなプリキュア。
どうでもいいですが「ふかい」を一発変換したら「腐海」が出てくるうちのパソコンこそ腐ってる。

さて、「トトロは、なぜヒットしてしまったのか?」です(やっと本題です。)

ところで、トトロには「子どものときにだけ あなたに訪れる」はず。なのに、お隣に住むカンタにその姿は見えません。でも、よそからやってきたばかりのサツキとメイは、すぐに会えました。
なぜか。
大学の時にゼミの教授から聞いた話を要約すると、「カンタにはおばあちゃんがいるから」とのことでした。カンタの家は「ザ・田舎の農家」。父、母、祖母、もしかすると祖父も一緒に暮らしている「拡大家族」です。一方、草壁一家は「核家族」。母は入院中で、家事はサツキがこなします。父は優しいけれど頼りなく、家にも不在がち。サツキとメイはつねに、不安定な状態におかれている、といえます。家庭内で、家族についての強靭なルール(物語)を作ってくれる人がいないからです。(ちなみに、「目をあわせない一家」で話題になった実写映画の「家族ゲーム」も1983年。「核家族」は1975年にピークを迎え、その後は「単独世帯」が増加傾向にあるそうです。わお。)
不安なものにしかトトロは見えない。トトロに「都市伝説」が囁かれるのも、このへんが原因なのかもしれません。トトロが、単純に昭和ノスタルジーの世界観を描いただけだったなら、こんなにヒットはしなかったのです。サツキとメイの不安が、「不安な時代」に受け入れられてしまった。

ほんとは、「なんで今ジブリは『コクリコ坂から』なのか」を書こうと思っていたのに、トトロ話に終わっちゃいました。また今度。

2011.08.05(fri)02:30

○○について知ってほしい、気付いてほしい、という言い方がある。たとえば、「格差社会について」だとか、「わが街の実態」だとか、なんでもいい。

そういうところから飛んでくることばは、高い場所にあるのだと思われる。
自分が知ってることを伝えたい、知ってほしい、ということは、真摯なようにもみえるけれど、一歩間違えれば「教えてあげたい」になってしまう。
「私が持っているこの素晴らしい情報を、あなたに伝えたい」と強く願うことは、教育者には必要なことであると思う。でないと、こどもたち、勉強しません。なんか必死に、面白そうにやってる大人がいるから、こどももその面白さを理解しようとします。たとえば私が本好きなのは中学時代の国語の先生のおかげだし、いまも英語の曲をたまに聞くのは同じく中学の英語の先生の影響。そしてそれを確固たるものにしたのが、大学の教授の存在でした。
何か分からんけど面白そうなことをやってる人に、惹かれるものです。その面白さを自分も味わいたいと思って勉強する。
(家事とかも、楽しそうにやってたら、自らやろうとするかもね。つい、しんどいしんどい言ってしまうから、やりたくねぇなあ、となる。これ、同じエピソードが「ロビンソン・クルーソー」だか「トム・ソーヤー」だかに、あるらしい。塀を塗り替える話。)

ところで先日、内田樹さんのブログのエントリ「ネット上の発言の劣化について」を読みました。

"((※信頼性の高い第三者とは))言論が自由に行き交う場では、そこに行き交う言論の正否や価値について適正な審判が下され、価値のある情報や知見だけが生き残り、そうでないものは消え去るという「場の審判力に対する信認」のことである。
情報を受信する人々の判断力は(個別的にはでこぼこがあるけれど)集合的には叡智的に機能するはずだという期待のことである。
それは自分が言葉を差し出す「場」に対する敬意として示される。
根拠を示さない断定や、非論理的な推論や、内輪の隠語の濫用や、呪詛や罵倒は、それ自体に問題があるというより(問題はあるが)、それを差し出す「場」に対する敬意の欠如ゆえに「言論の自由」に対する侵害として退けられなければならないのである。
繰り返し書いている通り、挙証の手間暇や、情理を尽くした説得を怠るものは、言論の場の審判力を信じていない。
真理についての検証に先だって、自分はすでに真理性を確保していると主張する人間は、聴き手に向かって「お前がオレの言うことに同意しようとしまいと、オレが正しいことに変わりはない」と言い募っているのである。
それは言い換えると「お前なんか、いてもいなくてもおんなじなんだよ」ということである。 "

私がいまここでこういう風に日記を書くということも、『情報の発信』にあたります。でも、「NOSTALGIA」は「場の審判力」にとぼしい場所なので、何を書こうが、今までこれといって問題はありませんでした。でも、これがもし「2ちゃんねる」なんかだとすると、とても叩かれる、いわゆる「炎上する」内容を、わりと頻繁に書いているとは思います。「2ちゃんねる」も、たまに覗きに行くことがあります。驚くのは、ひとつのスレッド内では、関係のない話は徹底的に排除されてしまうんだ、ということです。なので自分で書き込んだことはありません。…面白くなさそうだし。 私は挙証の手間暇に時間をかけているわけでもなく、ただ、今まで読んだ本の内容や、ネットで手軽に調べられる事柄について、話しているだけです。かといって情理を尽くして説いているかと言われると、それにも自信はあまりありません。ここでこうして書いていることについて反論されたこともないので、自分に、情報の受け手への敬意があるかどうかも、ちょっと良く分かりません。でもまあ分類するなら、批判される機能もなければ、リサーチや論理手法に基づいているわけでもないので、「質の悪い」情報なのでしょう。

あ、なんで冒頭に「教えてあげること」の話をしたのか、ようやく気付きました。
内田先生もおっしゃってますけど、教育、というか情報には「受け手への敬意」が必要なのですね。
「○○について知ってほしい」のあやうさは(悪いことではないと思うんだ)、用法容量を間違えたとき、「こんなにいいこと言ってるのに、なんで聞いてくれないの?!」になってしまうからなのでしょう。

いつの間にか、ブログの内容とはかけ離れたことになってしまいました。情報の劣化、というのは、自分の発言が社会のどこに位置付けられるか、というお話だったのです。マスメディア(本、新聞、雑誌、テレビ)が発信する情報と、自分が知っている情報を突き合わせて、「自分が持っている情報は、社会的にはどういうポジションにいるのか?」を知ることができなくなっている、という話。

自分は間違っているかもしれない、と思ったことのない人はいないと思います。問題は、「自分は間違っているかもしれないと思っている」ことを絶対視することではないでしょうか。「間違ってるかもしれない自分」を自覚しているんだから、自分は間違っていない、という、珍妙な逆説が成り立ってしまうのではないでしょうか。
だからネット上の発言は、あんなに自信満々なのかもしれない。

以上、なんでみんなは自信満々なのかについてでした。
「見たくないなら、見なければいいじゃない」という問題ではないのですよ? 念の為。

2011.08.02(sat)23:29

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